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JR山手線 「高輪ゲートウェイ」開業 およそ半世紀ぶりの新駅

 JR山手線でおよそ半世紀ぶりの新駅となる「高輪ゲートウェイ」が14日開業し、夜明け前から多くの鉄道ファンなどが訪れています。

 「高輪ゲートウェイ駅」は、山手線の30番目の駅として品川駅と田町駅の間に建設され、駅舎はガラス張りの壁にホームから天井まで吹き抜けとなるなど開放的な造りとなっています。

 14日は夜明け前から鉄道ファンなどおよそ350人が並び、午前4時15分に駅のシャッターが開けられると、訪れた人たちは拍手をしたり動画や写真を撮ったりしながら順番に改札の中に入って行きました。

 そして、午前4時35分に山手線内回りの一番列車が入線すると、駅のホームからは大きな歓声や拍手があがりました。

 その後、利用者は次々と列車に乗り込み、高輪ゲートウェイの駅長が出発の合図をすると、列車は定刻通りに東京方面に出発しました。

 先頭に並んでいた兵庫県尼崎市の男性は、「きのうの午前7時から待っていました。初日の入場券を記念に買って、一番列車に乗ってこの後、きょう全線で開通する常磐線の双葉駅まで向かいます」と話していました。

 高輪ゲートウェイ駅は、構内にJR東日本の駅としては初めて無人のコンビニエンスストアが常設されるほか、警備や利用客の案内などを行う自律移動型のロボットが稼働することになります。

 ただ、当面は混雑が予想されることなどから運用が始まるのは今月下旬からの予定だということです。

◇新駅設置の経緯と周辺開発
 JR東日本が品川駅と田町駅の間に山手線の新駅を設置すると公表したのは、6年前の平成26年の6月でした。

 新駅が設置される場所はもともとおよそ13万平方メートルに及ぶJR東日本の車両基地がありました。

 この車両基地は東海道線の車両などが止められていましたが、平成27年に開業した東海道線と宇都宮線や高崎線などとの「上野東京ライン」の計画によって車両を埼玉県や神奈川県などの基地に分散させることが可能となりました。

 これによって、車両基地を廃止・縮小して新駅の建設や大規模な再開発を行えるスペースを生み出しました。

 平成29年2月には新駅の起工式が行われ、建築家の隈研吾氏が設計した駅舎の建設が進められてきました。

 そして、おととし12月、新駅の名前が「高輪ゲートウェイ」に決まりました。

 駅周辺のおよそ9.5ヘクタールの土地は、外国人向けの住居を備えた地上45階、高さ173メートルのビルやホールを備えた文化施設、それに駅前広場などの建設が予定されていて、JR東日本は2024年度中の全面開業を目指しています。

◇地価など地域経済にも影響
 「高輪ゲートウェイ駅」開業をめぐり、周辺の地域では地価など地域経済にも影響がでてきています。

 国土交通省が公表している「地価公示」によりますと、「高輪ゲートウェイ駅」から北におよそ500メートルにある商業地では、「地価」の上昇率はJR東日本が新駅の設置を公表する前の平成26年が前年比4.9%だったのに対して、公表後の平成27年には11%の上昇と大幅にアップしました。

 新駅周辺のほかの地点でも前年比を上回っていて、国土交通省はこれらの地点についても上昇の大きな要因として新駅の設置が影響しているとみています。

 また、不動産調査会社「東京カンテイ」によりますと、新駅の設置が公表されたあと、新駅周辺にある7つの地区すべてで、築10年程度の中古マンションの平均坪単価が高くなったということです。

 このうち、新駅の近くにある都営地下鉄浅草線の泉岳寺駅周辺では中古マンションの平均の坪単価が平成26年は346万4000円でしたが、平成29年には486万8000円と、140万円増加しています。

 来春の新駅開業あとのさらなる値上がりの期待感からか最近では、「売り渋り」とみられる動きもでているということです。

 井出武上席主任研究員は、「山手線の拠点ができることで、町としてのポテンシャルが高まることへの大きな期待感が物件の価値に表れている。地価は、今後も大きく上昇するだろう」と指摘しています。

◇山手線の駅の歴史
 東京における鉄道輸送の大動脈の「山手線」。そもそもいつ開業し、発展してきたのか、調べてみました。

 JR東日本などに取材してみたところ、山手線の始まりと言われる路線が開業したのは明治18年でした。その名も「品川線」。区間は品川から新宿を経由して赤羽までの間で、駅は渋谷や新宿、目白などに設置されていました。

 調べてみて驚いたのですが、実はこのころは運ぶのは人より荷物のほうが多く、「貨物輸送」が目的だったということです。

 その後、明治36年に、池袋と田端を結ぶ「豊島線」と呼ばれる路線が誕生しました。この時に、もともとあった上野と赤羽などを結ぶ路線と「豊島線」とが接続され、池袋駅、大塚駅、巣鴨駅も開業しました。これで品川から上野までがつながり、路線名も「山手線」となりました。

 ちなみに名称の由来は、東京の「山の手」地域を走っていたことにちなんだものだということで、過去には「やまてせん」と呼ばれていた時期もありましたが今では、「やまのてせん」という呼び方が正式なものとなっています。

 そして、大正8年には中央本線の東京と旧万世橋の間の路線が開通しました。上野から池袋、新宿、品川、東京を通ったあと、すでに開通していた「中央本線」を経由して新宿方面に戻る「の」の字を描くような運行を開始しました。

 そして、大正14年に、山手線の上野と東京の間がつながったことで今の形になりました。

 ちなみに、山手線というのは正式には品川から新宿を経由し田端までの区間で、田端から東京の間は東北本線、東京から品川は東海道本線までとなっています。

 歴史の話しに戻すと、昭和に入ってからは、戦前には、すでに早朝などのラッシュ時間帯に4分間隔の運転が実施されていて、特に戦後になってからは、高速化に加え、1編成当たりの車両数が増え続け、高度成長期には10両編成にまで増えました。

 そして、昭和46年には大正14年の「御徒町駅」以来となる久しぶりの新駅、「西日暮里駅」が開業しました。

 「高輪ゲートウェイ駅」は、「西日暮里駅」以来となる新駅で、山手線の駅として30番目の駅となりました。

 ちなみに、山手線には駒込と田端の間に唯一の踏切があって、今後、自動運転導入が検討される中、この踏切が廃止されるかどうか注目が集まっています。

◎「高輪ゲートウェイ駅」なぜ明朝体? 今度は案内板が話題に

 駅の名前を巡って議論が巻き起こった「高輪ゲートウェイ駅」で、今度は新しい駅舎の駅名の書体がSNS上で話題となっています。

 話題となっているのは駅舎の駅名標や改札口の上に設置された緑の案内板で、「高輪ゲートウェイ駅」の文字をよく見ると、書体が明朝体となっています。

 開業を前にした今月9日、高輪ゲートウェイ駅内部の様子が報道されると、ツイッターなどのSNS上には、「明朝体は確かに見づらいと思うけど」とか「明朝体はダサい? なんで? 私はよいと思ったけど」などその書体についてさまざまな書き込みが相次ぎました。

 そこで、この駅名標や案内板についてJR東日本に話を聞いてみると、そもそも駅名標などはそれぞれの駅舎に適した形状や素材などを用いることができ、書体についても特に決められたものはないということです。

 ちなみに、JR渋谷駅ハチ公口の駅名標も実は明朝体で、JR原宿駅の駅名標は毛筆体だということです。ただ、やはり、JRでは明朝体の駅名標や案内板は珍しいとのことです。

 では、なぜ、明朝体が使われることになったか尋ねると、駅名標の書体も含め、駅舎をデザインした建築家、隈研吾さんが手がけ、JR東日本が採用したということです。

 今回、SNSで駅名標などの書体が話題となっていることについて聞いてみましたが、特にコメントはもらえませんでした。
| 雑感 | 21:15 | comments(0) | - |