2020.01.22 Wednesday
俳優 宍戸錠さん死去 86歳
「エースのジョー」という愛称で人気を博し、数々の映画やドラマでアクションスターなどとして活躍した俳優の宍戸錠さんが亡くなりました。86歳でした。
宍戸さんは、昭和8年、大阪で生まれ、日本大学芸術学部演劇科を中退した後、昭和29年、日活ニューフェイスの第一期生として、俳優になりました。
よくとし、映画「警察日記」で、若い巡査役で本格的にデビューしたあと、「渡り鳥」シリーズなど数多くの映画で主人公の敵役として出演し、「エースのジョー」の愛称で人気を博しました。
昭和36年には、主演をつとめた「ろくでなし稼業」や「早撃ち野郎」などがヒットしてアクションスターとしての地位を不動のものとし、500本近い映画に出演してきました。
また、映画以外にもNHKの大河ドラマ「武田信玄」や「葵 徳川三代」など数々のテレビドラマにも出演し、貫禄のある演技で存在感を発揮してきました。
このほか民放の料理番組でリポーターを務め、俳優の顔とは違った明るいキャラクターが人気を呼ぶなど、幅広い分野で活躍しました。
宍戸さんは86歳で亡くなりました。
◎宍戸錠さん死去 こぶ顔作り悪役極めた「エース」
(2020年01月21日 17:02 日刊スポーツ)
映画「渡り鳥」シリーズ「拳銃無頼帖」シリーズなど、数々のシリーズもの映画で人気を博した俳優宍戸錠さんが亡くなったことが21日、分かった。86歳だった。
大阪府出身。日活ニューフェースの1期生として映画デビューし、若手を多用した同社のアクション映画路線で、小林旭らとともに主力で活躍。主に悪役として欠かせない存在となり、「エースのジョー」と呼ばれて親しまれた。
◇ ◇ ◇
ある時はライフルを構えた殺し屋役。またある時は無骨な用心棒。悪役として、主役を絶妙に引き立てる数々のハードボイルド作品に出演した宍戸さんが、逝った。
日大芸術学部在学中の1954年、日活の若手発掘プロジェクト「日活ニューフェイス」の1期生に合格し、俳優への道を歩み始めた。1960年には「渡り鳥 いつまた帰る」「拳銃無頼帖 抜き射ちの竜」など、宍戸の代名詞ともなる人気シリーズをはじめ、年間12本の出演映画が公開された。
看板スターだった石原裕次郎の骨折離脱により、1961年の「ろくでなし稼業」では当初予定の脇役から主演に大抜てきされた。その実績が認められ、日活の主力スター路線「ダイヤモンドライン」に加入し、スターの仲間入りを果たした。西部劇好きで、ガンマンのスタイルを研究し、自らの殺し屋スタイルを確立した。
デビュー当初は二枚目路線だったが、「渡り鳥」シリーズでは主演の小林旭の敵役がはまり、徐々に悪役路線へ転向した。悪役にはこだわりがあった。顔をいかつく見せるため、両ほおに液状物質を注入した。「こぶ顔」は口ひげとともに宍戸さんの長年のトレードマークだったが、20011年に摘出手術を受けて話題になった。
子だくさん家族に生まれ、両親から「子づくりに錠をかける」という意味で「錠」と名付けられた。私生活では、日活の女優だった游子さん(2010年に死別)と結婚。長女のエッセイスト紫しえ、長男開をもうけた。結婚当初は「子供が生まれて大きくなったとき、オヤジの俺と共演できるような、息の長い役者でいたい」と夢を掲げ、1991年にはNHK連続テレビ小説「君の名は」で開と父子共演を果たした。
映画業界の低迷期には、テレビでも活躍した。日本テレビ系「なんでもやりまショー」、「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」など、バラエティー番組にも出演。フジテレビ系「食いしん坊! 万才」の4代目リポーターも務めた。
2006年には虚血性心不全と診断されて入院し、手術を受けた。2013年には、1人暮らししていた。
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