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昭和天皇 拝謁記「国民が退位希望するなら躊躇せぬ」

 昭和天皇との対話を記した初代宮内庁長官の「拝謁記」から、敗戦後の退位をめぐる問題が決着したとされる東京裁判の後にも、昭和天皇が「国民が退位を希望するなら少しも躊躇(ちゅうちょ)せぬ」と語るなど、退位の可能性にたびたび言及していたことがわかりました。

 分析にあたった専門家は、「本当に皇室が国民に認められるかどうかがすごく気になっていて、存続には国民の意思が決定的に重要だという認識がみえる」と指摘しています。

 「拝謁記」を記していたのは民間出身の初代宮内庁長官だった田島道治(たじま・みちじ)で、戦後つくられた日本国憲法のもとで、昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務めました。在任中、600回余り延べ300時間を超える昭和天皇との対話を詳細に記録していました。

 昭和天皇の退位をめぐる問題は、これまでの研究で、昭和23年11月の東京裁判の判決に際し、昭和天皇が連合国軍最高司令官のマッカーサーに手紙を送り、退位せず天皇の位にとどまる意向を伝えたことで、決着したとされてきました。

 しかし、「拝謁記」には、判決から1年が過ぎた昭和24年12月に、昭和天皇が田島長官に、「講和ガ訂結(ていけつ)サレタ時ニ又退位等ノ論が出テイロイロノ情勢ガ許セバ退位トカ譲位トカイフコトモ考ヘラルヽ」と退位の可能性に言及し、そのためには当時皇太子だった上皇さまを早く外遊させてはどうかと述べたと記されていました。

 また、サンフランシスコ平和条約の調印が翌月に迫った昭和26年8月には「責任を色々とりやうがあるが地位を去るといふ責任のとり方は私の場合むしろ好む生活のみがやれるといふ事で安易である」と、退位したほうがむしろ楽だと語ったと記されています。

 さらに、その4か月後の拝謁でも「国民が退位を希望するなら少しも躊躇(ちゅうちょ)せぬ」と述べたと記されています。

◇日大 古川教授「退位が偽らざる本心と思う」
 「拝謁記」の分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は、「これだけ大きなことを起こした責任者だったら辞めて責任を取るのがいちばん普通なので、常識的に考えれば退位したほうがいいのだろうと昭和天皇もわかっていたはずだし、辞めたほうが気が楽になるというのが昭和天皇の偽らざる本心だと思う」と述べました。

 そのうえで、「本来なら退位して当然の立場で、留位するということが本当に皇室が国民に認められていくことにプラスになるかどうかがすごく気になっていた。存続させていくために、国民の意思が決定的に重要だという認識があるからこそ、世評を気にしていることが拝謁記にしょっちゅう出てくるのだろう」と指摘しました。

◇一橋大 吉田特任教授「道義的責任をはっきり意識」
 日本の近現代政治史が専門の一橋大学の吉田裕特任教授は、「昭和23年末の段階で退位問題には決着がつけられたと思っていたので、その後もくすぶっていて、昭和24年の段階でもまだ退位のことを言っているというのは全く予想しなかった」と述べました。

 そのうえで、「退位問題の裏には君主としての責任感があるが、それは国民に対する責任と歴代の天皇や天皇家の祖先に対する責任の2つがある。敗戦という事態を迎え、それまで続いてきた国体を危機に陥れてしまったことに対する道義的な責任をはっきり意識していることが、拝謁記の記述からわかった」と話しました。

 さらに、「天皇制廃止の立場からではなく、天皇制や国体の護持を望む立場からの退位論が周囲にかなりあり、それを意識せざるをえない状況がずっと続いていたことがわかるし、昭和天皇が退位論に関するいろいろな議論に細かく目を通していたこともよくわかる」と述べました。
| 政策 | 16:58 | comments(0) | trackbacks(0) |









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