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増えぬドナー、死生観も要因
 臓器移植法に基づく脳死判定と移植が初めて実施されてから、2月28日で日で20年になりました。

◎「救える命を救うため…」 ドナー、なぜ増えぬ 初の脳死移植から20年
 (2019年02月28日 06:01 毎日新聞)

 臓器移植法に基づき、脳死と判定された人から初めて心臓などの臓器が移植されてから、28日で20年になった。脳死からの臓器提供者は増加傾向にあり、計570人を超えた。

 しかし、移植を待つ患者に対して提供者は少なく、海外と比べて低水準が続く。専門家は「救える命を救うため、提供を増やす対策が必要だ」と指摘する。

◇死生観、医療体制不備も要因
 1999年2月28日、くも膜下出血で高知赤十字病院(高知市)に搬送されていた40代の女性が、臓器移植法に基づき初めて脳死と判定された。

 心臓は大阪大病院、肝臓は信州大病院、腎臓は東北大病院と国立長崎中央病院(現・長崎医療センター)でそれぞれ移植された。同法が1997年に施行されてから、1年4カ月が過ぎていた。

 1例目が無事成功したものの脳死臓器提供は広がらず、2009年まで年3〜13人で推移した。2010年、本人の意思表示が確認できなくても家族の承諾だけで提供可能とする改正法が施行されると、年32〜76人に増えた。

 だが、海外と比べると低水準のままだ。日本臓器移植ネットワークによると、脳死と心停止を合わせた2017年の臓器提供者数は人口100万人当たり0.88人。米国31.96人▽英国23.05人▽韓国11.18人▽ドイツ9.7人――より目立って少ない。

 背景には、脳死を人の死とすることに抵抗感がある日本人の死生観に加え、医療現場の体制の不備がある。

 厚生労働省によると、全国896の医療施設で脳死提供が許可されているが、2017年3月末現在、体制が整っているのは半数以下の435施設。患者に提供の意思があっても、病院の体制が整っておらず断念された例もあり、提供経験があるのは2割に当たる194施設にとどまる。

 移植ネットに登録しながら亡くなった患者は今年1月末現在、心臓374人▽肺565人▽肝臓1259人▽腎臓4119人。

 移植医療に詳しい高原史郎・大阪大招へい教授は、「法整備や医療技術は欧米と見劣りしないのに日本の移植数が伸びないのは、提供側の病院や家族への動機付けが弱いからだ。行政主導で対策を打たないと、救える命が限られてしまう」と指摘する。

◇「あの時、世界と肩を並べた」心臓第1例患者主治医・児玉さん
 1999年2月28日、国内初の脳死判定を受けた女性の心臓は、大阪大病院で40代の男性患者に移植された。男性の主治医だった大阪警察病院名誉院長、児玉和久さん(79)=心臓内科=は、「ようやく日本の医療が世界と肩を並べたと感慨深かった」と20年前を振り返る。

 児玉さんは1990年代前半、米国の大学病院を訪れ、臓器移植が治療の選択肢として定着している実態を目の当たりにした。当時、所属する大阪警察病院は「心臓に強い病院」として知られていたが、手の施しようがなく1〜2年で亡くなる患者が相次いだ。「このままでは後れを取るばかりだ」。移植医療の重要性を痛感した。

 男性患者は1997年9月、心筋症で同病院に入院した。「移植も選択肢の一つ」と切り出す児玉さんに最初は抵抗感を示したが、病状は悪化し意識不明になることも。海外の症例や拒絶反応の説明を続けると、「社会復帰したい」と移植に同意した。

 臓器提供者が現れて移植が決まり、児玉さんは心臓がヘリコプターで大阪大病院へ運ばれる様子をテレビ中継で見守った。移植は約2時間で終了。児玉さんは「日本の移植医療が幕を開けたことに、安堵というより脱力した」と振り返る。

 男性は仕事に復帰し、十数年後にがんで亡くなった。その後、男性の妻から手紙が届いた。「つらい時期はありましたが、いい人生でした」と感謝の言葉がつづられていた。児玉さんは「お子さんの成長も見ることができ、本当に良かった。移植手術は必要な技術だ」と話す。
| 福祉・医療と教育 | 16:25 | comments(0) | trackbacks(0) |









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