<< November 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< 障害者手帳、カードで交付も | main | 「ジャーナリストは総領事館で死亡」サウジ政府の関与認める >>
皇后さま きょう84歳の誕生日

 皇后さまは20日、84歳の誕生日を迎えられました。来年4月の天皇陛下の退位を前に、皇后として迎える最後の誕生日です。

 皇后さまは誕生日にあたって記者の質問に文書で回答を寄せられました。

 この中で、皇后さまは、この1年に相次いだ地震や豪雨などに触れ、「災害により犠牲になられた方々を心より悼み、残された方々のお悲しみを少しでも分け持てればと思っています」と述べられました。

 そして、「被災者の静かに物事に耐える姿、そして恐らくは一人一人が大きな心の試練を経験しているだろう中で、健気に生きている子ども達の姿にいつも胸を打たれています」と記されました。

 皇后さまは天皇陛下が来年4月で退位されることについて、「5月からは皇太子が、陛下のこれまでと変わらず、心を込めてお役を果たしていくことを確信しています」と述べられました。

 そして、「私も陛下のおそばで、これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ、これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います」とつづられました。

 続いて、皇后さまは、結婚以来60年近く変わることのなかった天皇陛下の姿勢に触れながら、「義務を一つ一つ果たしつつ、次第に国と国民への信頼と敬愛を深めていかれる御様子をお近くで感じとると共に、新憲法で定められた『象徴』のお立場をいかに生きるかを模索し続ける御姿を見上げつつ過ごした日々を、今深い感慨と共に思い起こしています」と記されました。

 そして、ご自身については、「皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした」と振り返ったうえで「与えられた義務を果たしつつ、その都度新たに気付かされたことを心にとどめていくーそうした日々を重ねて、60年という歳月が流れたように思います」と述べられました。

 皇后さまはまた、天皇陛下の退位後について、「陛下の御健康をお見守りしつつ、御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています。そうした中で、これまでと同じく日本や世界の出来事に目を向け、心を寄せ続けていければと思っています」と記されました。

 そして、北朝鮮による拉致問題を例の1つに挙げ、「これからも家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思います」とつづられました。

 皇后さまは最後に、公務を離れたあとの暮らしについて、「これまでにいつか読みたいと思って求めたまま、手つかずになっていた本を、これからは一冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています」などと語り、「残された日々を、静かに心豊かに過ごしていけるよう願っています」と結ばれました。

 皇居では20日、皇族方や衆参両院の議長らも出席して皇后さまの誕生日の祝賀行事が行われます。

◇弱い立場の人に心寄せられ
 昭和9年10月20日に誕生された皇后さま。
戦争が続く中で幼少期を過ごし、戦後の復興期に青春時代を送られました。

 聖心女子大学を卒業した年の夏、軽井沢のテニスコートで当時皇太子だった天皇陛下と出会い、24歳で結婚されました。

 一般の家庭から皇太子妃が選ばれたのは初めてで、結婚の祝賀パレードに50万人を超える人たちが詰めかけるなど、多くの国民から祝福を受けられました。

 天皇陛下と国内外で公務に励みながら3人のお子さまを手元で育て、新たな皇室像を示されました。

 昭和天皇が崩御して天皇陛下が即位されると、54歳で皇后となられました。

 一貫して、被災者や病気や差別に苦しむ人、障害のある人など、社会で弱い立場にある人たちに心を寄せられてきました。

 平成7年の阪神・淡路大震災では、皇后さまが被災地に持参されたスイセンの花が復興のシンボルとなりました。

 東日本大震災では、被災から間もない時期から7週連続で東北3県などを回り、その後もたびたび被災地を訪ねて被災した人たちを見舞われています。

 日本赤十字社の名誉総裁として医療や福祉の関係者をねぎらうとともに、数多くの福祉施設やハンセン病の療養所などを訪れて入所者をいたわられてきました。

 障害者のスポーツにも高い関心を持ち、長野パラリンピックでは選手たちの健闘をたたえるウエーブに参加されました。

 皇后さまは天皇陛下とともに全国各地に出かける一方で、去年、初めてベトナムを訪問するなど、これまでに58か国を訪ねて国際親善に尽くされました。

 また、天皇陛下とともに先の大戦の歴史と向き合われてきました。

 戦後50年を迎えた平成7年には「慰霊の旅」に出かけ、被爆地の広島と長崎、地上戦が行われた沖縄などを訪ねられました。

 さらに、戦後60年には太平洋の激戦地サイパンを、戦後70年にはパラオのペリリュー島を訪れ、犠牲者の霊を慰められました。

 皇后さまは文学や音楽に造詣が深く、とりわけ児童文学に大きな関心を寄せ、絵本など児童図書の普及に取り組む人たちを後押しされてきました。

 平成14年には、児童図書の世界大会が開かれたスイスをお一人で訪問し、児童文学への思いを語られた講演が大きな反響を呼びました。

 一方で、皇室の伝統も大切に受け継ぎ、世の中の出来事や家族への思いを短歌で表現するとともに、明治以降、歴代の皇后が続けてきた皇居での養蚕にも熱心に取り組まれてきました。

◇全都道府県を複数回訪問
 皇后さまの誕生日に合わせて、天皇皇后両陛下がお住まいの御所で日本地図をご覧になる映像が公開されました。

 この日本地図は、両陛下がこれまで訪れた場所にピンで目印をつけているもので、皇太子夫妻の時に訪れた場所には青色のピンが、天皇皇后として訪ねられた場所には赤色のピンが立てられています。

 両陛下は、天皇皇后としてすべての都道府県を複数回訪れていて、この日は北海道から沖縄まで並ぶ数多くのピンを眺めながら、これまでの訪問を振り返られていたということです。
| 雑感 | 07:12 | comments(0) | trackbacks(0) |









http://blog.sato501.com/trackback/1089768