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「自治体株主制度」は地方を救うのか
 高額な返礼品や都市部の税収減少を巡りつばぜり合いを繰り広げる国と自治体を尻目に、北海道・東川町の株主制度は、都市と地方との新たな付き合い方に一石を投じています。

◎北海道の寒村が挑む「自治体株主制度」が凄い 返礼品で終わらない、長い関係性の作り方
 (7月29日 東洋経済オンライン 一井 純)

 総会シーズンからはやや外れた10月中旬、北海道で株主総会が開催される。会場に着くなり株主は森に分け入ると、なぜか植樹にいそしむ。午後になってようやく事業報告が行われたかと思いきや、その後株主は陶芸体験や温泉へと三々五々に散らばる。こんな総会を主催するのは、上場企業どころか企業ですらない。「町」だ。

 旭川空港から車で約15分の場所にある北海道上川郡東川町。年によっては9月に雪がちらつき、冬場の寒い日にはマイナス20度近くにまで冷え込む。隣の旭川市のように動物園やラーメンといった観光資源もなければ、鉄道、国道、上水道の「3道」もない。置かれた条件はなかなか厳しい。

 そんな町の株主総会に昨年は約150人が集まった。北海道外からの参加者も多いという。何の変哲もない寒村が、なぜここまで人を惹きつけるのか。

◇市町村合併への反発
 「人口を1万人に戻すにはどうすればいいんだ」――。

 2003年から町長を務める松岡市郎氏は悩んでいた。頭痛の種は国が押し進めていた市町村合併だ。財政悪化や人口減少を懸念した自治体が続々と合併を決める中、一時は東川町にも周辺自治体との合併話が持ち上がった。

 合併しても町は幸せにならない、と選挙戦で合併反対を掲げて当選した松岡町長。だが、合併の可否にあたって国が暗示した基準は「人口1万人未満」。東川町の人口は1950年に記録した1万0754人をピークに、1960年代に1万人を割って以降減少の一途を辿った。1994年の約6900人でいったん底を打ったものの、1万人の大台にはほど遠い。

 合併抜きにどうやって人口規模を保つか。「町に住んでいる人だけでなく、応援してくれる人だって“住人”だ。これからの時代、定住人口が大きく回復することはない。ならば、定住人口を一定に保った上で、町を応援してくれる人を増やしていこう」(松岡町長)。

 定住人口8000人に応援人口2000人を足して1万人。国の役人が来ても、「冗談じゃない、うちにはきちんと人口1万人がいるぞ」と言いのけて追い返してやる。そんな反骨精神から、応援人口づくりは始まった。

 とはいえ、ひとくちに応援人口を増やすといっても簡単ではない。単に応援してくれるだけでなく、義務と負担を負ってこそ住民と言える、と町長は考えた。

 町外に住む人たちを対象にした税金を創設できないか、あれやこれやと議論は続くも、縁もゆかりもない自治体に納税するという前代未聞な制度はなかなか実現しなかった。

 国にも相談したが、「何を考えているんですか。自治体なんて全国に無数にあるのに、そんな相談はいちいち相手にしてられませんよ」とあしらわれてしまう始末。

 何かいいアイデアはないものか、そう考えあぐねていた矢先に飛び込んできたのが、2008年に制度化されたふるさと納税だった。これを活用しない手はない、と松岡町長は即断した。

◇株主優待の制度を取り入れる
 ただ「納税というと一方的に取られるだけの響きがある。自ら目的を持って、自主的に参加する形にしたい」。

 すると、当時都内の民間企業での研修に参加していた若手職員がおもむろにこう提案した。「株式会社には、株主優待という制度があります。参考にしてみては?」。このやりとりが、ひがしかわ株主制度誕生のきっかけになった。

 納税者との長期的な関係を築くために参考にしたのは、企業と株主の関係だ。短期的に売買する株主もいる一方、企業の経営方針に共感し、応援する意味で長期的に株式を保有する株主も多い。こうした長期保有者こそ、町長が目指した応援人口の姿だった。

 仕組み自体はふるさと納税制度を下敷きにしているものの、細部は株式投資をヒントにした。町に投資(寄付)する際は、スローガンである「写真の町」の情報発信やスキー選手の育成、町産ワインの醸造など、どの事業に投資するかを株主自身が決める。

 各事業には目標金額と募集期間が掲げられ、毎年各事業の進捗や運用経費が報告される。自分の投資がどのように使われ、どう役立っているかが分かるのだ。

 ほかの市町村と同じように返礼品もあり、特産品の農産物や木工品などが贈られる。ユニークなのは、株主証と特別町民証だ。株主証があれば町内の公共施設を町民価格で利用できたり、町内の買い物でポイントが貯まったり、株主専用の宿泊施設もできたりする。文字どおり、「株主優待」が受けられるわけだ。

 いずれも町まで足を運ばせる仕掛けとなっており、その最たる例が冒頭の株主総会。交通費の一部補助はあるものの、遠方からわざわざ参加する株主も少なくない。

 近年のふるさと納税ブームを受けて株主の人数は急増しているが、人数だけでなく熱量の高さも特徴だ。毎年投資を続ける株主も多く、「リピート率が6割を超えていた年もあった」(町の担当者)。そこには税金を徴収されるという後ろ向きな意識はない。「町を見てもらうことで、(株主との)縁が切れないようにしている」(松岡町長)。

◇一村一品運動で「コト」を掲げた
 今でこそユニークな制度で支持を集める東川町だが、決して順風満帆な道のりだったわけではない。

 1979年、当時の大分県知事が提唱した「一村一品運動」。各市町村が特産物を1つ掲げようという運動で、東川町としても押し出すべきものを探しているところだった。

 開拓以来歴史の浅い北海道及び東川町にとり、特産品といっても米や野菜といった他地域と代わり映えのしないものばかり。「だったら、文化を掲げたらどうか、となった。ちょうどカメラの誕生と北海道(東川町)の歴史は同じくらいだし」(松岡町長)。

 東川町はちょうど、大雪山や国立公園など、写真映えのする大自然を抱える。これを期に公共施設や住宅も写真映えのするものに変え、レンズを向けられたらポーズを構えてくれるような、元気な子どもを育てていこう。ほとんどの自治体が「モノ」を掲げる一村一品運動にあって、「コト」を掲げたのは異例だった。1985年6月1日、晴れて東川町は「写真の町」を宣言した。

 単に宣言をするだけでなく、自他共に認める写真の町になるべく、行動も早かった。町独自の条例を制定するとともに、町役場の看板には堂々と「写真の町」の文字を掲げ、役場にかかってきた電話には「はい『写真の町』、東川町です」。同年夏からは毎年「国際写真フェスティバル」を開催。さらに1994年からはその高校生版とも言える「写真甲子園」も主催している。

 だが、現実はなかなか思い通りにはいかない。始めた頃は背伸びをして、ヌード写真やピンぼけといった、「普通の人にはちょっとよく分からない写真」に賞を贈っていた。町としては、町中が写真目当ての人や車でごった返す姿を思い描いていたが、「10年後、そうはならなかった」(松岡町長)。

 2005年には、宣言の時から二人三脚で写真の町のプロジェクトを進めていた企画会社が倒産してしまう。これまで企画会社を介在して写真家やメーカーと取引をしていたのが、今度は役場職員自ら交渉の場に立たなければならなくなった。

 だが、この災いが転じて福となる。職員自身が動き、アイデアを出すことが日常化していったのだ。職員が自分たちで人脈も作った。国際写真フェスティバルは国内外の写真家に権威ある大会として知られるようになり、ローカル色の強かった写真甲子園も徐々に全国区へと拡大。今では300校以上が予選会に参加する、名実ともに「甲子園」へと成長した。そうして培った人脈は、ひがしかわ株主制度でも活かされた。

◇「3ない」を打破せよ
 高額な返礼品や都市部の税収減少を巡りつばぜり合いを繰り広げる国と自治体を尻目に、独自制度で町のファンを着実に増やしつつある東川町。「ほかの首長と話していると、◯◯がない、という話題になる。だが、実現するためにどうするか知恵を絞るのが行政だ」(松岡町長)。財源がない、前例がない、ほかの自治体でやってない――自治体が抱えがちな「3ない」を打破することこそがカギだという。

 地方創生の号砲一発、一斉に走り出した地方自治体だが、一部には息切れも見える。東川町の株主制度は、都市と地方との新たな付き合い方に一石を投じている。
| 環境とまちづくり | 06:39 | comments(0) | trackbacks(0) |









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