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オウム真理教 松本智津夫死刑囚に死刑執行
 関係者によりますと、オウム真理教の元代表の麻原彰晃、本名 松本智津夫死刑囚(63)に、6日死刑が執行されたということです。一連の事件では13人の死刑が確定していましたが、執行されたのは初めてです。

 オウム真理教の代表だった松本智津夫死刑囚は、平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や平成6年の松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こした首謀者とされ、平成7年に始まった教団に対する強制捜査で施設に潜んでいるところを逮捕されました。

 裁判で松本死刑囚は無罪を主張しましたが、次第に意味のわからない発言を繰り返すようになりました。

 平成16年2月、1審の東京地方裁判所は、「一連の事件の首謀者として極限の非難に値する」として死刑を言い渡しました。

 2審では弁護団が、「裁判を受けられる精神状態ではない」として必要な書面を出さなかったため法廷が開かれないまま裁判が打ち切られ、平成18年に死刑が確定していました。

 その後、松本死刑囚の弁護団が再審・裁判のやり直しを求める申し立てを行っていました。

 オウム真理教による一連の事件では、合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭い、松本死刑囚など教団の幹部ら13人の死刑が確定していましたが、執行されたのは初めてです。

 一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化しましたが、ことし1月に地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなりました。

 ことし3月に13人のうち7人が東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ移送され、執行の時期が焦点となっていました。

◇松本智津夫死刑囚とは
 オウム真理教の代表だった麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚(63)は教団による一連の事件を主導したとして死刑が確定していました。

 昭和59年ごろに宗教やヨガのサークル「オウム神仙の会」を開いた松本死刑囚は、昭和62年に「オウム真理教」を名乗り、最終戦争が近づいているとして信者の危機感をあおって武装化を進めました。

 しかし、平成7年3月の地下鉄サリン事件の後、警察の強制捜査を受け、2か月後に教団施設の隠し部屋に潜んでいるところを逮捕されました。

 裁判では、地下鉄サリン事件をはじめ、松本サリン事件や坂本弁護士一家殺害事件など合わせて13の事件で殺人などの罪に問われました。一連の事件で死亡した人の数は29人にのぼっています。

 松本死刑囚は、「自分は一切指示していない」などと無罪を主張しましたが、1審の東京地方裁判所は、平成16年2月、「一連の事件の首謀者として極限の非難に値する」として死刑を言い渡しました。

 2審では弁護団が、「裁判を受けられる精神状態ではない」として必要な書面を出さず、裁判所が法廷での審理を行わずに裁判の打ち切りを決めたため、平成18年9月に死刑が確定しました。

 その後、松本死刑囚の弁護団が再審・裁判のやり直しを求める申し立てを繰り返し行っていますが、いずれも退けられています。

 松本死刑囚は東京拘置所に収容され、平成18年に裁判所の依頼で接見した精神科医の意見書では、独り言を繰り返す以外は無言で、入浴や運動には拘置所の職員の介助が必要だとされていました。

 また、関係者によりますと、ここ数年は家族や弁護士が面会に来ても応じず、口を閉ざして意思の疎通ができない状態が続いていたということです。

 松本死刑囚が公の場に姿を現したのは、平成16年の1審判決の時が最後でした。

◇オウム真理教とは
 オウム真理教は、昭和59年に麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚が東京で開いたヨガと宗教のサークル、「オウム神仙の会」から始まりました。

 昭和62年には「オウム真理教」と名乗るようになり、神秘体験などを通じて信者を急速に増やしていき、平成元年に東京都から宗教法人として認められました。

 教団は信者の財産をお布施として納めて出家するよう強く勧め、施設で共同生活を送らせていましたが、信者の親との間でトラブルが相次ぐようになりました。

 平成元年11月、親たちの相談に応じていた坂本堤弁護士の一家の行方がわからなくなり、関与が疑われましたが、教団は「関係ない」と主張しました。

 平成2年には、松本死刑囚らが衆議院選挙に立候補しましたが惨敗し、この直後からハルマゲドン、最終戦争が近づいていると強調し、信者の危機感をあおっていきました。

 その後、山梨県の旧上九一色村のサティアンと呼ばれる施設で急速に武装化を進め、ひそかにサリンを製造しました。

 平成6年6月、最初の無差別殺人となる松本サリン事件を起こし、8人が死亡、140人以上が被害を受けました。

 平成7年2月には、東京の公証役場の事務長だった假谷清志さん(当時68)を拉致する事件を起こし、教団への捜査が本格化しました。

 そして、強制捜査が迫った平成7年の3月20日、地下鉄サリン事件を起こしました。13人が死亡、負傷者はおよそ6300人にのぼる未曽有のテロ事件でした。その2日後、全国の教団施設に一斉に警察の強制捜査が入りました。

 2か月後、松本死刑囚は教団施設の隠し部屋に潜んでいるところを逮捕されました。幹部らも次々と逮捕され、教団による一連の事件は終わりましたが、一部の信者は逃亡を続けました。

 しかし、平成23年にオウム真理教による一連の事件の裁判がすべて終わると、特別手配されていた3人のうち、平田信受刑者が警視庁に出頭しました。

 平田受刑者は、逃亡中、14年余りにわたって東大阪市のマンションで元信者の女性にかくまわれ、ほとんど外に出ずに生活していました。

 出頭した理由については、裁判の中で、「松本死刑囚以外の死刑囚に対する執行はかんべんしてほしいという気持ちがあり、自分が出頭すれば執行が延びると思った」と話しました。

 その出頭の半年後、17年にわたって逃亡し、教団とは無関係の男性と東京や神奈川県で暮らしていた女性の元信者が通報を受けて逮捕されました。

 さらに、高橋克也受刑者もその12日後に逮捕されました。建設会社で働いていた高橋受刑者は女性の元信者の逮捕を知って社員寮から姿を消しましたが、防犯カメラに映った写真が次々に公開されて追い詰められ、東京の蒲田駅近くで逮捕されました。

 コインロッカーに入れていたバッグの中からは松本死刑囚の本や写真、説法が録音されたカセットテープが見つかりました。

 特別手配されていた3人が逮捕され、警察の強制捜査から17年余りかかって一連の事件の捜査が終わりました。平田受刑者と高橋受刑者はその後有罪が確定し、女性の元信者は無罪が確定しています。
| 事件・事故 | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) |









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