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高学歴でも、メール読めない人続出
 学力が高いくても読解力も相応に身につけているとは限らないそうです。その事が、日本でテレワークが一向に導入は進んでいない理由かも知れません。

◎日本の生産性を引き下げている「文章を読めない人」
 (6月4日 JBpress 加谷 珪一)

 「文字は分かるが文章を理解できない人が増えているのではないか?」というテーマがネットで話題になっている。明確な統計がないので推測にならざるを得ないのだが、これは古くて新しい問題と考えられる。昔から読解力に欠ける人が一定数存在していたものの、ネット社会の到来で一気に可視化された可能性が高い。

 こうしたことが話題になると、すぐに学力云々という議論になりがちなのだが、読解力の問題は単純に学力向上だけで解決できるとは限らない。いわゆる偏差値が高い大学の出身者の中にも、文章を理解する力が不足している人が多数、存在している可能性があるからだ。

◇業務上のメールも実はきちんと読めていない?
 先日、ネット上のまとめサイトに文章の読解力に関する記事が投稿された。「今週は暑かったのでうちの会社はサンダル出勤もOKだった」というツイッターのつぶやきに対して「何故今週だけはOKなんだ?」「サンダル無い人は来るなって?」「暑いならともかく基本はNGだろ」といった反応が一定数返ってくるという内容だ。

 こうした反応を返してくる人は、「サンダル出勤がOK」というキーワードだけが目に入っていた可能性が高く、前後の文脈は考慮していなかったと考えられる。

 昔からそうだが、ニュースサイトのコメント欄を見ても、明らかに文章を読んでいない人のコメントや、1つのキーワードだけに反応し、文脈をまったく無視したコメントが無数にアップされている。文章を読んでいない、あるいは読めていない人が一定数存在しているのは間違いない。

 ジャーナリストの佐々木俊尚氏は、ツイッターでの“クソリプ”(どうしようもない返信を意味するネット上のスラング)の原因は大半が読解力の不足によるものではないかと指摘している。

 もっともツイッターは、瞬間的に反応して返信するという役割を持ったツールでもあり、勘違いによる返信が一定数存在することはやむを得ないことかもしれない。しかしながら、文章が読めていないという指摘はこれ以外にも存在している。

 投資銀行家で「ぐっちーさん」の愛称でも知られる山口正洋氏は、ビジネス上のメールの内容をきちんと読めていない人が多いと自身のコラムで指摘している。内容があいまいなまま物事が進むので、実際に会って内容を再確認しなければならず、これが日本の生産性を引き下げているという。

 この話は、筆者にも思い当たるフシがある。筆者は10年以上、コンサルティング会社を経営してきた経験を持っているが、確かに一部のビジネスパーソンは、業務上のやり取りについて内容を十分に把握できていなかった。こうした状態を放置すると経営に支障を来すため、筆者は、可能な限り箇条書きにする、要件ごとにメールを分ける、確認のメールを送るといった対策を施していた。

 ちなみに、メールをやり取りしている相手というのは、いわゆる高学歴な人物ばかりであり、基礎学力という点ではトップクラスに属している。少なくとも、現時点において学力が高いからといって、読解力も相応に身につけているとは限らないということになる。

 たかがメールのやり取りではあるが、山口氏が指摘しているように、これが社会全体の生産性を引き下げているのだとすると由々しき問題である。

◇日本でテレワークが進まない理由
 文章の読解力がどのように確立するのかというのは、実は非常に奥が深いテーマで、簡単に答えが出せるものではない。単純に文章を読むテクニックに依存する部分もあるだろうし、論理性の有無といった思考回路の問題も関係してくるはずだ。

 これに加えてメンタルな影響も無視できない。感情が先に立ってしまうと、自分の感情やイメージに沿ったキーワードだけを無意識的に抽出し、まったく異なる結論を導き出してしまうことがよくあるからだ。

 言語によって、脳内における情報処理のアルゴリズムが異なるという研究事例もあり、そうなってくると、他の言語圏との比較も必要になってしまう(ちなみに山口氏は米国人とのやり取りではそうした行き違いは生じにくいとも主張している)。

 ここまでくるとテーマが壮大になりすぎてしまうのだが、実務的には2つのアプローチがあると筆者は考えている。

 1つは可能な限り、口頭ではなく文書でのコミュニケーションを実施するよう心がけ、このやり方に社会全体として慣れていくというもの。もう1つは、表現や表記の方法を体系化し、可能な限り分かりやすくするというものである。

 日本では以前からテレワークなど遠隔で勤務できる環境整備が必要と指摘されてきたが、一向に導入は進んでいない。その理由は技術的なものではなく、メンタルなものである可能性が高い。

 日本の職場では、業務の指示や責任の範囲が不明瞭なことが多く、チーム全員が顔を合わせて、状況を逐一確認していかないと仕事が進まない。確かに、表情やしぐさなど、ビジュアルな情報があれば、言語が不明瞭でも意思の疎通は可能だろう。しかし、こうしたスタイルにばかり慣れてしまうと、文書を読み書きする能力が高まらないのは当然である。

 働き方改革が社会全体の課題になっていることも考え合わせると、業務の指示や責任の範囲を文書で明文化する努力が必要なのは明らかであり、これを実践すれば、文章の読解力は確実に向上する。

◇情報の整理、表現の工夫でも改善は可能
 こうした試みとは表裏一体の関係だが、多くの人に明瞭に意図を伝えるためのテクニックも必要だろう。筆者は職業柄、日米の経済統計をWebサイトで閲覧することが多いのだが、両国のWebサイトには驚くべき差がある。

 米国のサイトの方が英語という外国語であるにもかかわらず、内容が直感的に理解できるのだ(参考までに、筆者は外国に住んだ経験はなく、ごく一般的な英語力しかないので、英語の基礎力が高いことで内容が容易に理解できているわけではない)。

 日本のサイトは、統計データと関連するおびただしい注記事項が羅列してあるだけというケースが多く、情報が整理されていない。様々な立場の人が読むことをまったく想定していないのだ(あるいは想定していても、体系立てて表記できないのかもしれない)。

 困ったことに、こうした分かりにくい情報に対して改善の要求が出されるのではなく、詳細を知っている人が、分かりにくさを利用して、分からない人に対して優越的な立場に立つという、本末転倒な現象も散見される。あなたの職場にも、分かりにくい情報しか提示できないにもかかわらず、「こんなことも知らないのか」と悦に入る同僚がいないだろうか。

 多くの人にとって分かりにくい情報しか出せない人は、マイナス評価になるという土壌が出来上がれば、読解力不足の問題もある程度、緩和できるだろう。

 分かりやすい表現を重視すると、薄っぺらい議論になってしまうとの批判もあるが、筆者はそうは思わない。

 難しい話を難しく説明することなど、専門家であれば誰でもできる。現代社会はオープン化が進んでおり、異なる分野の知見をうまくミックスしていかなければ新しいビジネス領域を開拓することはできない。専門的な内容を専門外の人に適切に説明する能力に欠ける人は、むしろ専門家としての能力が不足していると評価するぐらいの意識改革が必要である。

 こうした実務的な改善を積み重ねて行けば、教育プログラムによって読解力を向上させるといった大きな枠組みを構築しなくても、たいていの問題は解決するはずだ。
| 雑感 | 12:03 | comments(0) | trackbacks(0) |









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