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西城秀樹さん死去
 「YOUNG MAN」や「傷だらけのローラ」などのヒット曲で人気を集めた歌手の西城秀樹さんが、16日夜、急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなりました。63歳でした。

 西城秀樹さんは広島市の出身で、昭和47年に歌手デビューしました。
激しい振り付けとエネルギッシュな歌い方で若い女性の人気を集め、「情熱の嵐」や「傷だらけのローラ」などの曲が相次いでヒットしました。

 西城さんは、同じ時期にデビューした郷ひろみさん、野口五郎さんとともに「新御三家」と呼ばれ、昭和49年には「傷だらけのローラ」で初めてNHKの紅白歌合戦に出場しました。

 さらに、昭和54年に発表した「YOUNG MAN」は、体を使ってアルファベットのYMCAを表現する振り付けが世代をこえて親しまれ、日本歌謡大賞を受賞しました。

 事務所によりますと、西城さんは先月25日に家族と一緒にいるときに急に意識不明になって入院し、16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなったということです。

◎西城秀樹さんが死去、63歳 永遠の“ヤングマン”が天国へ旅立つ
 (5月17日 スポーツ報知)

 「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」などのヒット曲で知られる歌手の西城秀樹さん(さいじょう・ひでき、本名=木本龍雄、きもと・たつお)さんが16日11時53分、急性心不全で死去した。63歳だった。

 2003年と11年に脳梗塞を発症した西城さんは、後遺症やリハビリと闘いながらステージに立ち続けた。郷ひろみ(62)、野口五郎(62)らと「新・御三家」として70年代に一世風靡した。

 永遠の“ヤングマン”が天国へと旅立った。

 48歳、56歳の時に脳梗塞を2度発症。右半身のまひや言語障害などの後遺症が残ったが、壮絶なリハビリで回復。4月にコンサート出演するなど、最後までステージにこだわった。

 甘いマスクに長髪をなびかせ、エネルギッシュに熱唱するスタイルで女性ファンをとりこにした。1974年には「傷だらけのローラ」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞。「薔薇の鎖」では敬愛する英歌手ロッド・スチュワートばりにスタンドマイクを振り回すアクションで人気を集めた。

 1979年の「YOUNGMAN」は約140万枚の大ヒットを記録した。自身も考案に携わった「YMCA」の4文字を両手で表現する振り付けも大流行。80年のセンバツ高校野球大会の入場行進曲、近年はCMソングに起用され、世代を超えて愛された。

 音楽を愛し続けた63年間だった。ジャズ好きの父親の影響を受け、小学3年生で地元のジャズスクールに通いドラムを始めた。中学1年生の時は3歳上の兄らとバンドを結成し、ビートルズなどの楽曲を披露。楽器を購入するために新聞配達のアルバイトもこなし、岩国の米軍キャンプでも演奏した。

 広島・山陽高時代にジャズ喫茶で歌っていた時にスカウトされ、「ワイルドな17歳」をキャッチフレーズにデビュー。郷、野口と“新御三家”としてスターへの階段を駆け上った。私生活では46歳まで独身を貫いたが、2001年に妻・美紀さんと結婚。2男1女と子宝に恵まれた。

 幸せまっただ中の2003年、突如病魔に襲われた。ディナーショーで訪れた韓国・済州島で脳梗塞を発症。2011年に再発し、右足を引きずるなど後遺症が残ったが、家族に支えられながらリハビリに励んだ。1日3〜4箱吸っていたタバコも断った。60歳を迎えた2015年4月にライブを開催し、「ヒデキ、還暦!」とさらなる活躍を誓っていた。

 西城さんは2009年にスポーツ報知のインタビューで、死ぬ間際まで役者人生を全うした緒形拳さん(2008年死去)を理想に挙げた。「緒形さんのように自分の体が滅びていくまで仕事ができるか。僕は弱い人間だから自信がないけど。これからさらに鎧がもう一つできて強くなれるかな」。その言葉通り、最後まで歌手人生を全うした。
| 雑感 | 13:59 | comments(0) | trackbacks(0) |









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