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日航ジャンボ機墜落事故32年 遺族らが慰霊登山
 520人が犠牲になった日航ジャンボ機の墜落事故から12日で32年となり、墜落現場の群馬県上野村では、遺族などの慰霊の登山が続いています。

 昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。

 事故から12日で32年となり、上野村では墜落現場の「御巣鷹の尾根」を目指して遺族などの慰霊の登山が続いています。

 遺族などは、亡くなった人の墓標に花や線香などを供え、静かに手を合わせていました。また、墜落現場にある慰霊碑「昇魂之碑」の前では、手を合わせて犠牲者を悼んでいました。

 慰霊碑の周りでは午前中、遺族や地元の人が参加して犠牲者を追悼する行事が行われ、子どもたちがシャボン玉を一斉に飛ばして空の安全を祈りました。

 夕方には、ふもとにある「慰霊の園」で追悼慰霊式が行われ、墜落時刻の午後6時56分に合わせて黙とうが行われます。


 事故で叔父の石倉六郎さん(当時41)を亡くした茨城県ひたちなか市の磯禎典さん(45)は、親戚の子どもたちなどおよそ20人とともに御巣鷹の尾根を登りました。

 磯さんは、「手を合わせて、みんな元気にやっているよと伝えました。ここにくると止まっていた時間が動き出すような気がします。子どもたちに当時の事故の悲惨さを現場で感じ取ってほしいと思います」と話していました。

 事故で妹の吉田仁美さん(当時28)とその夫の吉田哲雄さん(当時35)、娘の有紗ちゃん(当時3か月)の一家3人を亡くした奈良県御所市の田仲威幸さん(67)は、「遠いところで妹家族が一緒に暮らしているだろうと思いながら祈りました。あっという間の32年で、遺族にとって家族を失った悲しみは毎年変わりません。登山に来る人が少なくなったように感じますが、元気なうちは登るつもりです。二度とこのような事故は繰り返してほしくない」と話していました。

 事故で女優だった娘の吉田由美子さん(当時24)を亡くした東京・大田区の吉田公子さん(83)は、「きょうは娘が入っていた宝塚歌劇団の当時の後輩が一緒に登ってくれたことを娘に報告しました。32年間、一度も娘のことを忘れたことはありません。来年もまた登りたいです」と話していました。

 事故で夫の佐藤陽太郎さん(当時53)を亡くした東京・世田谷区の佐藤泰子さん(81)は去年、腰痛のため、毎年続けてきた慰霊の登山ができず、ことし2年ぶりに御巣鷹の尾根に登りました。

 佐藤さんは、「去年は登ることができなかったので、この1年間、夫に会うことを目標に過ごしてきました。きょうは『元気でやっているよ』と夫に報告しました。これからも命が続くかぎり夫のことを思い出すと思います。まだ自分は登れることがわかったので、来年の登山に向けて体力づくりなどを頑張ります」と話していました。

 事故で義理の兄の佐田弘さん(当時53)を亡くした埼玉県春日部市の中村晴男さん(74)は、墓標に酒をかけるなどして佐田さんをしのんでいました。

 中村さんは、「一緒に酒を飲み、いろいろな相談にのってくれたよい兄貴でした。毎年ここに来て、当時を思い出しながら義理の兄と一緒に酒を飲んでいます。また会いに来ると伝えました」と話していました。

◎日航機事故「風化防ぎたい」木の墓標を石に
 日航ジャンボ機墜落事故から32年のことし、遺族の中には、事故の風化を防ぎたいと現場にある木の墓標を石に替えた人がいます。

 墜落現場の御巣鷹の尾根には、遺体が見つかった場所に木の墓標が建てられ、遺族などが慰霊に訪れます。

 設置から長い年月にわたって雨や風に打たれた結果、木の墓標は、折れたり、書かれている文字が読みづらくなったりしているものもあります。

 こうした中、事故の風化を防ぎたいと、ことし、墓標を木から石に替えた遺族がいます。川崎市高津区に住む内野理佐子さん(57)は、父親の南慎二郎さん(当時54)を事故で亡くしました。

 海外赴任や出張など仕事が忙しい中でも、自分たちの運動会を見に来たり遊びに連れていってくれたりするなど、子ぼんのうな父親だったといいます。

 事故のことを伝えていきたいと、事故後に生まれた子どもを連れて毎年、慰霊登山をしてきた内野さんが墓標を石に替えようと思ったのは、事故から32年がたち、娘がことし結婚したことがきっかけの1つでした。

 いずれ生まれる孫はもちろん、その後の世代まで自分の父親の慰霊に訪れてほしいと考えたのです。

 事故から32年の12日、夫や息子とともに慰霊登山をした内野さんは、御巣鷹の尾根で、父親の名前とともに「パパ安らかに」という文字が刻まれた新しい石の墓標を初めて目にしました。

 内野さんは、「思った以上のものができてよかったです。石にすることで父の居場所がなくならないようにしたい気持ちもありました。愛する人の死をむだにしたくない、事故の教訓を生かすためには事故を風化させずに伝えていかなければならないという思いが強くなりました」と話していました。

 御巣鷹の尾根の登山道の管理を群馬県上野村から任されている黒沢完一さんによりますと、風化を心配する遺族などから墓標を石に替えたいという要望がほかにも寄せられ、作業が進められているということです。
| 事件・事故 | 18:05 | comments(0) | trackbacks(0) |









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