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「南町田駅」の駅名を改称へ
 田園都市線の南町田駅が2019年度中に「南町田グランベリーパーク駅」に改称され、「南町田グランベリーパーク」のまちびらきに合わせて、「スヌーピーミュージアム」が同パーク内に開館されるそうです。

◎東急田園都市線「南町田グランベリーパーク駅」2019年度中に改称へ
 (2018年08月16日 15:42 マイナビニュース)

 町田市、東京急行電鉄、ソニー・クリエイティブプロダクツは16日、「南町田グランベリーパーク」内に「スヌーピーミュージアム」を開館すると発表した。

 最寄り駅の南町田駅は、2019年度中に「南町田グランベリーパーク駅」に改称され、平日も急行が停車する。

 東急田園都市線南町田駅は、1976(昭和51)年10月15日に開業した。

 現在は平日に各停・準急、土休日に各停・準急・急行が停車し、1日あたりの乗降人員は2万9415人(2017年度実績)。

 駅周辺では、鶴間公園とグランベリーモール(2017年2月閉館)跡地を中心に、官民連携で都市基盤・都市公園・商業施設・駅などを一体的に再整備する「南町田拠点創出まちづくりプロジェクト」が進められ、2019年秋に「南町田グランベリーパーク」の名称でまちびらきを迎える予定となっている。

 今回、町田市と東急電鉄、ソニー・クリエイティブプロダクツの3者は、スヌーピーファンの聖地「チャールズ M.シュルツ美術館」(米国カリフォルニア州)のサテライトミュージアム「スヌーピーミュージアム」を「南町田グランベリーパーク」の中央部分に位置する「パークライフ・サイト」エリアに開館することで事業合意したと発表。「南町田グランベリーパーク」のまちびらきに合わせ、2019年秋に開館する予定となった。

 最寄り駅となる南町田駅も、「駅名をまち名称と同じ名称とすることで、新しいまち名称の認知度向上を図ること」、「新たな市のにぎわい拠点『副次核』として、まちにさらなる愛着を持ってもらうこと」、「訪れた人に、駅に降り立った瞬間に新しいまちに来たことを実感してもらうこと」を目的に、2019年度中に駅名を「南町田グランベリーパーク」へ改称。

 これまで土休日のみだった急行停車を拡大し、平日・土休日ともに急行停車駅とすることで、新たな郊外拠点としての利便性向上を図る。

 あわせて、駅施設の大型改修も実施。ホームドアやエスカレーターを設置するほか、南北自由通路に通じる正面口改札、グランベリーパーク側の南口改札を設け、正面口改札前に店舗などの「駅前利便施設」を配置する。

 ホーム待合室や旅客トイレもリニューアルし、コンコース改修によって開放的な駅空間を創出するという。なお、南町田駅の駅名改称および平日の急行停車の具体的な実施時期など、詳細は追って発表するとしている。

◎スヌーピーミュージアム 南町田に開館
 (2018年8月16日 ORICON NEWS)

 2016年4月に東京・六本木にオープンし、今年3月には来場者数100万人を突破した「スヌーピーミュージアム」が、2019年秋に街開きを控える「南町田グランベリーパーク」内に開館することが8月16日、発表された。

 町田市、東京急行電鉄株式会社、株式会社ソニー・クリエイティブプロダクツの3者によって、「南町田グランベリーパーク」の中央部分に位置する「パークライフ・サイト」に、「チャールズM.シュルツ美術館」(アメリカ、カリフォルニア州)の世界で唯一のサテライトミュージアム(分館)として開館する。

 六本木の「スヌーピーミュージアム」は本年9月24日に当初からの予定していた会期を終え、閉館することがすでに発表されており、多くのファンからの惜しむ声も多数上がっていた。

 今回、六本木に代わる新たな場所として「南町田グランベリーパーク」に移転する「スヌーピーミュージアム」は、公園に面し、六本木の約2倍の規模となる。館内には魅力的なコンテンツが充実し、緑あふれる環境を活かしたアウトドア・プログラムを提供するなど新しく生まれ変わる。

 さらに、町田市が取り組む「えいごのまちだ事業」と連携し、子どもたちが楽しみながら英語を学べるオリジナル企画にも取り組むという。

 また、同館がオープンする「南町田グランベリーパーク」は、「南町田拠点創出まちづくりプロジェクト」として、南町田駅周辺に位置する鶴間公園と、2017年2月に閉館したグランベリーモール跡地を中心に、官民が連携して、都市基盤、都市公園、商業施設、駅などを一体的に再整備し、「新しい暮らしの拠点」を創り出していくプロジェクトとして進められているもの。

 「スヌーピーミュージアム」が開館する「パークライフ・サイト」エリアは、鶴間公園と商業施設の中間に位置し、ミュージアムのほか、本を媒介に人と人との交流を生み出す「まちライブラリー」、ワークショップスペース、子どもクラブ(児童館)、カフェを備える。

 これらの施設と、隣接する公園と商業施設が互いに連携することで、街全体を一体的に活用しながら、大人から子どもまでの幅広い世代が、新たな時間の楽しみ方を発見できる場所となることを目指していく。

 なお、2019年度中には、同プロジェクトの最寄駅名称も、現在の「南町田」駅から「南町田グランベリーパーク」駅に改称し、平日も急行列車の停車駅になる。

【「スヌーピーミュージアム」概要】
 スヌーピーファンの聖地「チャールズM.シュルツ美術館」(米カリフォルニア州)の世界で唯一のサテライトミュージアム(分館)。世界中の新聞に掲載されたコミック「ピーナッツ」やスヌーピーの魅力を貴重な原画や資料で紹介し、この場所でしか手に入れることのできないオリジナルグッズを販売、隣接するアネックスにはカフェも併設。六本木の約2倍の規模となる館内には魅力的なコンテンツが充実し、緑あふれる環境を活かした多彩なエンタテインメントやアウトドア・プログラムを提供する。

・運営:株式会社ソニー・クリエイティブプロダクツ

・協 力: チャールズM.シュルツ美術館(アメリカ、カリフォルニア州)

・延床面積: 約2,600平方メートル+カフェ約200平方メートル(アネックス)

・開館予定:2019年秋
| 環境とまちづくり | 08:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
<阿波踊り>どうして対立印象づける悪循環に陥ったのか
 「阿波おどり振興協会の」山田理事長は破産手続き中の観光協会の理事を兼務しております。これでは纏まるものも纏まらないのではないでしょうか。

◎<阿波踊り>どうして対立印象づける悪循環に陥ったのか
 (8月16日 毎日新聞)

 15日に開幕した徳島市の夏の風物詩「阿波踊り」は、有力な踊り手グループ(連)が所属する踊り手団体「阿波おどり振興協会」が、市が中心となって新たに組織した実行委員会の反対を押し切り、恒例の「総踊り」を強行開催する異例の展開となった。巨額の累積赤字の発覚で市が乗り出した改革は、市と踊り手団体の対立を印象づける悪循環に陥っている。いったい、何が起きていたのか。

◇踊り手団体が反対を押し切り「総踊り」
 総踊りは阿波踊り期間(8月12〜15日)中、毎日午後10時から実施されてきた注目イベントだ。4カ所の有料演舞場の一つ、「南内町演舞場」を会場に、1000人以上が一斉に踊る迫力と美しさが人気を集めてきた。だが今年、実行委は同演舞場へのチケット売り上げの集中を避けるためとして中止を決定。各演舞場ごとに有名連が続々と踊り込む新たな演出に切り替えた。

 この方針に反発した振興協会は総踊りの独自開催を決め、13日午前までに、所属する14連に対して場所や実施方法などを伝えた。当初から総踊りの自粛を促してきた実行委だったが、報道などで振興協会の計画を知った実行委員長の遠藤彰良市長は同日午後、急きょ記者会見を開き、改めて自粛を求めた。

 13日午後10時前、総踊りを前に群衆でひしめき合う南内町演舞場近くの両国橋南商店街周辺の路上。市幹部は振興協会の山田実理事長らに「非常に危険です」と自粛を再度要請した。「帰れ」と怒号が上がるなど一時騒然とする中、制止を振り切った14連は午後10時の開始予定から10分ほど遅れて演舞を始めた。

◇踊り手1000人の熱気、観客には賛否両論
 事故が起こらないよう実行委の担当者や警察官が目を光らせる中、商店街中央の2車線分を陣取り、1000人を超える大勢の踊り手が一斉に踊り込む。沿道では多くの群衆がスマートフォンやカメラで撮影。踊り手たちはおよそ100メートルほどの歩行者天国の路上で一糸乱れぬ群舞を披露し、たくさんの人が拍手を送った。

 徳島市の自営業の女性(45)は、「人が多くあまり見えなかったが、最後にちょうちんが並んだのを見て感動した。次はちゃんとした桟敷で見たい」と歓迎。

 一方、徳島県藍住町の女性会社員(32)は、「総踊りは良かったが、人が多くて危ないと感じた。来年からはこういう形ではやらない方がいい」と疑問を投げかけた。

 山田理事長は終了後、報道陣に、「一般の人の熱気を受け止めた。やって良かった。これが庶民の声だと市長にも分かってほしい」と述べた。

 これに対し、遠藤市長は、「(中止要請を)無視して行われたことは誠に遺憾。今後の対応は実行委で十分協議したい」とするコメントを出した。

◇改革のきっかけは市観光協会の巨額債務
 そもそもなぜ、実行委は人気がある総踊りの中止に動いたのか。

 昨年までの阿波踊りは公益社団法人・徳島市観光協会(破産手続き中)と地元紙・徳島新聞社の共催だった。観光協会の決算資料によると、収入は2001〜16年まで毎年2億1767万〜2億8988万円あり、最大の収入源は7割強を占める観覧チケットの販売だった。それでも、16年間で黒字だったのは2007〜09年の3年だけだった。

 赤字が問題視され始めたのは昨年6月。観光協会の阿波踊り事業会計に4億円超の累積赤字があることが発覚した。市は損失を補償する契約を金融機関に対して毎年結んでおり、補償限度額は2004年以降、6億円まで膨らんでいた。問題視した市は昨年、限度額を累積赤字額と同額まで引き下げて、主催者に収支改善を促した。

 市と観光協会、徳島新聞社の3者で運営改善に向けた協議会も発足したが、観光協会は2回の参加要請に応じなかった。これを受け、市は昨年11月、地方自治法に基づき、弁護士や公認会計士などの第三者調査団による会計調査に乗り出した。

◇第三者の会計調査も「引導」に
 調査報告書は、観光協会による桟敷、照明工事、看板製作費といった支出のうち、複数から見積もりを取らず特定の事業者と契約するなど、会計規定に反した事例の存在を指摘した。また、業者からの請求で詳細な内訳が示されず、支払いの根拠となる書類が保管されていない点も問題視。

 調査団は、「新聞社との協力体制にも懸念があり、赤字を解消しつつ事業を継続していくのは困難」との結論を出した。

 報告を重くみた市は観光協会に対し、2018年度は損失補償を行わず、補助金も交付しないと決めた。資金繰りに窮した観光協会は、期限までに借入金を返済できないと金融機関に通知。債権を譲り受けた市は今年3月、観光協会の破産手続きの開始を徳島地裁に申し立てた。

 市議会では破産申し立てへの批判が相次いだが、市は「市の負担額をこれ以上増やさないためだ」と説明。さらに徳島新聞社への聞き取り調査で、同社が裏付け書類に基づかない不適正な会計処理を慣例で行ってきたことを認めたうえで、累積赤字の負担も「一定の責任があり、可能な限り協力する」と回答したことも明かした。

◇観光協会側の「抵抗」司法が「待った」
 観光協会は市や徳島新聞社への批判を強めた。「我々には赤字の責任はない」としたうえで、「新聞社が利益を獲得して損失を一切負担してこなかった」などと主張。

 徳島地裁は3月末、観光協会の破産手続き開始を決めたが、観光協会を支持する踊り手団体の阿波おどり振興協会は、破産を防ぐため資金集めを行うと発表した。

 観光協会も4月、県内外から約3億3000万円の融資が集まり、「破産を回避できる。今年も阿波踊りを開催する」として高松高裁に不服申し立てに当たる即時抗告を行った。

 しかし、高裁は5月に抗告を棄却。決定書によると、高裁は「観光協会は市から補助金を打ち切られ、代わりの収益を得る見通しがない」と指摘。3億3000万円についても「単なる貸し付け」として観光協会の主張を認めなかった。

 観光協会は「これ以上混乱を招かないようにする」として最高裁への特別抗告を断念。破産手続きが始まり、阿波踊り事業などで生まれた債務の回収が進められている。

◇混乱の余波・祭りの現場へ
 一方、市の主導で徳島新聞社や地元経済団体などを加えた新たな実行委が発足し、今年も例年通り8月12〜15日に阿波踊りを開催することを決めた。

 新聞社は「赤字に道義的責任がある」として市に3億円を寄付し、阿波踊りの振興に向けた基金が創設された。3億円のうち2億1600万円は、観光協会が所有していた演舞場の桟敷の購入に利用され、残金が基金の原資となった。

 開催決定後、実行委は四つの有料演舞場のチケット売り上げの偏りを是正するため、総踊りの中止を決めた。これに対し、振興協会の山田理事長らは「他の演舞場に躍り手の入り込みが減る原因は、総踊りにはない」と強く反発。

 遠藤市長と徳島新聞社を除く実行委の委員に対し、総踊り中止を疑問視する文書を渡し、独自に総踊りを行う可能性をにじませた。山田理事長が破産手続き中の観光協会の理事を兼務していたことも、問題を複雑にしている一因と言えそうだ。

 実行委はこの動きを受け、6月27日に既に通知した時間や場所での出演が可能かどうかを各連に確認した。7月1日のチケット発売が迫っていたが、各連は「午後10時以降は出演しない」として実行委のスケジュールに従わないと返答したため、混乱が拡大した。

 遠藤市長は記者会見で、「キャンセルの不安がある以上、前夜祭の出演依頼を振興協会にしないことを決めた」と述べ、開幕前日に盛大に行う前夜祭から振興協会を締め出す考えを示した。

 さらに、市長は総踊りについても、「演舞場外で大規模な踊りを行うのは大変危険」として複数回にわたって文書で自粛を求めた。

◇対立は平行線のまま
 これに対し、振興協会は7月6日、踊り手約50人を集めた記者会見を開き、前夜祭の出演や総踊りに関する市の対応を批判。「踊る場所を奪わないで」と訴えた。また、「前夜祭などに出る意思は伝えてきたが、実行委は応じなかった」と説明した。

 一方、遠藤市長はその後の会見で、「これまでに振興協会から前夜祭の出演について申し入れはなく、意思を3回問い合わせたが『記者会見で話す』としか返答がなかった」と説明。「執行部は虚偽の説明をしており、踊り手の意思にも反しているのでは」と強く批判した。

 両者は平行線のまま開幕を迎えた。振興協会は12日、「総踊りを13日夜に実施する」と明言。市幹部は改めて山田理事長らに自粛を要請したが、これを振り切って総踊りは決行された。実行委と振興協会の溝はさらに深まった。

◇見えない収支の改善
 収支改善に向けた課題も残されたままだ。実行委は当初、業務の契約をできる限り入札で行うと説明していた。だが、実行委は観光協会に十分な資料が残されていなかったため、今年はポスター制作、仮設トイレ、ごみ収集など一部でしか入札を行えなかった。

 有料演舞場などのチケット販売率は7日時点で約51%(前年同期比9ポイント減)にとどまった。実行委は西日本豪雨の影響や、曜日配列が日〜水曜であること、一部の報道などを要因に「売れる要素が少なかった」と分析している。

 ただ、運営の混乱が客離れを引き起こした可能性は否定できない。遠藤市長は実行委の会合で「事業の検証が必要だ」と述べ、阿波踊り終了後、速やかに事業内容や運営方法を検証することを決めた。

 料金設定や演舞場の規模は適切か、演出はどうすべきかなど、幅広い検証が求められる。徳島最大の観光資源として、いち早く正常化させる責任を関係者は負っている。
| 環境とまちづくり | 17:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
阿波おどり閉幕 観客は15万人減
 
 徳島市を中心とする実行委員会と、有力な踊り手のグループでつくる「阿波おどり振興協会」が「総おどり」をめぐって対立したことしの阿波おどりは、15日夜、最終日を迎え閉幕しました。

 平成最後となったことしの阿波おどりは、今月12日から4日間の日程で、徳島市を中心とする新たな実行委員会が運営する形で行われました。

 祭りの最大の見せ場は1000人を超す踊り手が1つの演舞場で踊る「総おどり」で、去年までは毎日行われていましたが、実行委員会はほかの3か所の演舞場の収益の改善を理由に中止しました。

 これに有力な踊り手のグループでつくる「阿波おどり振興協会」が反発し、2日目の夜には市内で独自の総おどりを実施するなど両者の対立が浮き彫りになりました。

 閉幕が迫った15日夜10時すぎ、市内の南内町演舞場では伝統と高い踊りの技術を持つ踊り手のグループが登場し、熱のこもった踊りを繰り広げました。

 埼玉県の70代の男性は、「踊り手の皆さんの踊り自体はとてもよかったのですが、やっぱり『総おどり』も見てみたかったです。来年はもっとよいものを期待したいです」と話していました。

 阿波おどりの実行委員会によりますと、ことしの4日間の観客は108万人と、去年より15万人少なかったということです。

◎阿波おどり振興協会が9月に「総踊り」 徳島・藍場浜公園で
 (8月15日 徳島新聞)

 阿波踊りの有名連14連でつくる「阿波おどり振興協会」が9月24日、徳島市の藍場浜公園で、所属連の踊り子が一斉に踊り込む「総踊り」を行う。西日本豪雨の被災地支援が目的で、会場で義援金を募る。

 振興協会によると、総踊りには所属連の約1500人が参加する見通し。義援金は踊り子が愛媛県などの被災地に持参し、現地で阿波踊りを披露する。

 総踊りは例年、徳島市の阿波踊り期間中、南内町演舞場で行われていたが、今年は主催団体の阿波おどり実行委員会が中止を決定。振興協会は反発し、13日夜、演舞場外で総踊りを強行した。

 藍場浜公園での総踊りに先立ち、あわぎんホールで所属連によるステージを予定している。振興協会の山田実理事長は「前夜祭で披露できなかったものを見せたい」と話した。いずれも入場無料。
| 環境とまちづくり | 11:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
「ジェット気流 大蛇行」が豪雨や猛暑の原因 気象庁検討会
 先月の西日本を中心とした記録的な豪雨や全国的な猛暑について気象庁の検討会は、上空の強い偏西、「ジェット気流」が大きく蛇行したことなどで豪雨や猛暑が引き起こされた、とする見解をまとめ、「異常気象の連鎖と考えられる」と分析しています。

 先月、西日本を中心に甚大な被害をもたらした記録的な豪雨や、全国的に続いた猛暑の要因について、気象庁は10日、専門家などで作る検討会を臨時で開きました。

 気象庁のこれまでの分析では、今回の豪雨は停滞した梅雨前線に大量の水蒸気が流れ込んだことなどが主な原因と見られ、検討会では、梅雨前線が停滞した主な要因として、上空を流れる2つの「ジェット気流」が蛇行したことを指摘しました。

 このうち、北緯40度から45度付近を流れる「ジェット気流」が大きく北へ蛇行したことで梅雨前線の南東側で太平洋高気圧が発達したことに加え、北緯65度から75度付近を流れる別のジェット気流も大きく蛇行し、梅雨前線の北側でもオホーツク海高気圧が発達したということです。

 この結果、2つの高気圧に挟まれた梅雨前線がほぼ同じ場所に長時間停滞し、大雨の要因になったということです。

 記録的な猛暑の要因については、北緯40度から45度付近を流れる「ジェット気流」が北に大きく蛇行したことなどで、日本付近の太平洋高気圧と上層のチベット高気圧の発達を引き起こしたとしています。

 このため、検討会は「ジェット気流」が大きく蛇行したことなどで豪雨や猛暑が引き起こされたとする見解をまとめました。

 検討会の会長を務める東京大学の中村尚教授は、「一連の現象は異常気象の連鎖だと考えるべきだ」とし、「地球温暖化により平均気温は上昇傾向にあり、上空の水蒸気量が増えている。今後さらに温暖化が進めば、こうした顕著な豪雨災害や猛暑がまた引き起こされると覚悟するべきだ」と話しています。

◎台風西進、猛暑、豪雨は「異常気象の連鎖」 気象庁見解
 (8月10日 朝日デジタル)

 専門家でつくる気象庁の異常気象分析検討会は10日、7月の西日本豪雨と「災害級」とされた猛暑を受けて臨時会を開き、梅雨明けが早かったことや台風12号の西進なども含めて、「異常気象の連鎖だ」との見解を示した。

 西日本豪雨では、7月の月降水量が平年値の2〜4倍となるところがあるなど、前例がないほどの降水量になった。西日本付近で、発達したオホーツク海高気圧と太平洋高気圧の間で梅雨前線が長期間停滞し、さらに多量の水蒸気が南から流れ込んだことが主な要因だった。

 7月は埼玉県熊谷市で国内の観測史上最高となる41・1度を観測し、東日本では月平均気温が7月として最高になった。太平洋高気圧とチベット高気圧が日本の上空で重なり続けたためという。

 いずれも気候的な背景として、上層のジェット気流の蛇行が続いたほか、地球温暖化に伴う気温の上昇と大気中の水蒸気量の増加も関連しているという。

 東京大先端科学技術研究センター教授の中村尚・検討会長は臨時会後の記者会見で、関東甲信地方が観測史上初めて6月に梅雨明けしたことや、台風12号が東から西へ列島を横断する異例のコースをとったことも含めて、「互いに関連している。一連の連鎖と考えるべきだ」とした。

 また、気候変動や地球温暖化の状況から、同様の猛暑や豪雨について「今後も起こりうる。備えはますます必要になる」と注意を呼びかけた。
| 環境とまちづくり | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
きょう長崎原爆の日

 長崎に原爆が投下されて9日で73年です。

 核軍縮をめぐる動きが停滞する中、国連の事務総長が初めて平和祈念式典に出席して核兵器のない世界に向けメッセージを発信するほか、長崎市の田上市長は核兵器禁止条約が早期に発効するよう協力を呼びかけることにしています。

 長崎に原爆が投下されて73年となる9日、長崎市の爆心地に近い公園などには被爆者や遺族が訪れ、祈りをささげる姿がみられます。

 親族2人が被爆したという長崎市の60歳の男性は、「多くの人がここで亡くなったので長崎にとって、原爆の日は特別な日です。原爆は、つくったのも人間、なくすことができるのも人間で、原爆による被害を忘れられないように伝えていくのは残された人間の使命ではないかと思います」と話していました。

 祖母を含め親族10人以上が被爆したという81歳の女性は、「原爆であっという間に命を落としてしまった人たちのことを考えると涙が出てきました。毎朝お祈りに来ていますが生かされていることに感謝の気持ちでいっぱいです」と話していました。

 9日は午前10時40分から長崎市の平和公園で被爆者や遺族のほか、安倍総理大臣も出席して平和祈念式典が開かれます。

 式典では、この1年間に亡くなった被爆者など3511人の名前が書き加えられた17万9226人の原爆死没者名簿が納められたあと、原爆がさく裂した時刻の午前11時2分に参列者が黙とうし、犠牲者を追悼します。

 ことしの式典には国連のグテーレス事務総長が初めて参列します。

 去年、国連で採択された核兵器禁止条約が核保有国と非保有国の立場の違いなどから発効のめどが立たず、核軍縮をめぐる動きが停滞する中事務総長が核兵器のない世界に向けて被爆地・長崎からメッセージを発信します。

 また、長崎市の田上市長は、平和宣言で核兵器による軍事力強化の動きに懸念を示すとともに、核兵器禁止条約が早期に発効するよう協力を呼びかけることにしています。

 被爆地・長崎は被爆者の追悼とともに平和への誓いを改めて世界に発信する1日となります。
| 環境とまちづくり | 08:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
2018年、73回目の「原爆の日」
 広島は6日、73回目の「原爆の日」を迎えまし。広島市中区の平和記念公園では午前8時から平和記念式典が開かれ、被爆者や遺族、安倍晋三首相らと各国代表が参列しました。

 原爆が投下された午前8時15分に全員で黙とうをささげました。私もNHKテレビの画面向かって1分間手を合わせました。

◎平和記念式典 広島市長「核兵器ない世界実現へ政府は役割を」
 広島に原爆が投下されてから6日で73年になります。広島市の松井一実市長は平和記念式典で政府に対し、「国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、役割を果たすことを求める」と訴えました。

 広島市の平和公園で行われた式典には、85か国の代表を含むおよそ5万人が参列し、5393人が新たに加えられた31万4118人の原爆死没者名簿が慰霊碑に納められました。

 そして、原爆が投下された午前8時15分に全員で黙とうをささげました。

 核保有国を中心とした国々と非核保有国との対立が続き、アメリカとロシアが核戦力の強化を打ち出すなど、核兵器廃絶への道筋はいまも見いだすことができていません。

 「平和宣言」で、広島市の松井一実市長は、「世界では自国第一主義が台頭し、核兵器の近代化が進められている」としたうえで、政府に対し、「国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、役割を果たすことを求める」と訴えました。

 これに対し、安倍総理大臣は、「核軍縮の進め方について各国の考え方の違いが顕在化している」としたうえで、「核兵器のない世界を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の協力を得ることが必要で、わが国は非核三原則を堅持しつつ、粘り強く双方の橋渡しに努め、国際社会の取り組みを主導していく決意です」と述べました。

 原爆投下から73年となる広島では、きょう1日、犠牲者の追悼と、核兵器のない世界の実現に向けた発進が続きます。

◎【詳報】8時15分、広がる祈り 復旧と鎮魂思い重ねて
 (2018年08月06日8 朝日新聞デジタル)

 広島は6日、被爆73年となる「原爆の日」を迎えました。今年の夏は西日本豪雨災害の被災1カ月とも重なり、復旧と鎮魂という「特別な一日」となった各地の動きをタイムラインで追います。

■安倍首相、核禁止条約には今年も触れず(8:32)
 広島市で開かれた平和記念式典に参列した安倍晋三首相。「唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向けて、粘り強く努力を重ねていくことは、我が国の使命だ」とあいさつした。約5分にわたり、手元の原稿に目を落として読み上げた。

 首相は、「近年、核軍縮の進め方について各国の考え方の違いが顕在化している」とし、核兵器のない世界の実現には「被爆の悲惨な実相の正確な理解を出発点として、核兵器国と非核兵器国双方の協力を得ることが必要」と強調。「非核三原則を堅持しつつ、粘り強く双方の橋渡しに努め、国際社会の取り組みを主導していく決意」と述べた。

 一方で、昨年7月に国連で採択された核兵器禁止条約については、今年も触れなかった。

 あいさつが始まる際、「戦争する国の総理のあいさつは聞きとうないから、帰る」と言って、会場を立ち去る男性もいた。あいさつ中は会場の外から、安倍首相の参列に反対するものとみられるシュプレヒコールが響き続けた。

■被爆電車「歴史の生き証人」
 原爆投下で被爆しながら今も運行している広島電鉄の「被爆電車」が、原爆ドーム最寄りの停留場に到着した。夏の日差しが降り注ぐなか、停留場で降りた人たちが平和記念公園に次々と向かった。

 路面電車に乗って平和記念公園に訪れた広島市南区の佐伯和邦さん(73)は、生後2カ月で被爆。毎年欠かさず、この地を訪れているという。「被爆電車は歴史の生き証人。当時を知る電車が走る姿を見て、この日を忘れないでほしい」と話した。

 1945年8月6日の原爆投下で、市内線123両のうち108両が被爆した。その3日後に一部区間で運行が再開され、復興のシンボルにもなった。現在も3両の被爆電車が残され、うち「651号」「652号」の2両は現役で走っている。

■投下後降りだした「黒い雨」(9:00ごろ)
 原爆投下からしばらくして、広島では黒く濁った大粒の雨が降りだした。いわゆる「黒い雨」だ。核爆発で生じた放射性物質や焼けた物のすすなどが上空に達し、雨雲が発生。広島市北西部を中心に、夕方まで降雨が記録されている。

 「黒い雨」は作家の故・井伏鱒二の小説になり、後に映画化された。原爆の悲惨さとたくましく生きる人々の姿を描いた漫画「はだしのゲン」作者の故・中沢啓治さんによる初の原爆漫画「黒い雨にうたれて」のタイトルにもなった。

 「黒い雨」について、国は爆心地の「東西15キロ、南北29キロ」で降り、うち「東西11キロ、南北19キロ」が大雨地域と分析。1976年、公費で健康診断が受けられる援護対象地域に指定した。がんなどになると被爆者健康手帳が交付される。

 一方で、地域から外れた小雨地域やその周辺に住む人からも「『黒い雨』を浴び、健康被害に悩まされている」といった証言が相次いだ。広島市などが地域拡大を求め、厚生労働省は検討会を設けて協議したが、2012年7月に「拡大は困難」と認めなかった。援護区域の拡大や被害救済を求める人たちの「黒い雨」訴訟は、いまも広島地裁で続いている。

■甲子園出場の広陵も黙とう
 平和だからこそ野球ができる。第100回全国高校野球選手権記念大会に広島代表で出場している広陵の選手らが、大阪府池田市の宿舎前で整列し、広島の方角を向いて黙禱(もくとう)をした。

■広島市長が平和宣言読み上げ(8:16)
 広島市の松井一実市長は、平和宣言を読み上げた。「人類は歴史を忘れ、直視することを止(や)めた時、再び重大な過ちを犯してしまう」と訴えた。

■原爆投下時刻、参列者が黙とう(8:15)
 73年前のこの時間、広島市上空で原爆が炸裂(さくれつ)した。人類史上初めて、市民の頭上に投下されたのだ。

 広島市によると、原爆による死没者は今年8月5日現在で計31万4118人。平和記念式典では、名簿の収められた原爆死没者慰霊碑の前で参列者が黙とうを捧げた。

■平和記念式典始まる(8:00)
 原爆投下から73年の8月6日。平和記念式典が始まった。

■観測機、広島上空に飛来(7:09)
 73年前のきょう8月6日午前7時9分。1機の気象観測機が広島上空に飛来した。太平洋戦争の激戦地、サイパン島の隣島テニアンの基地からアメリカのB29爆撃機がその後を追っていた。機長の母の名で呼ばれた「エノラ・ゲイ」。機内には重さ4トン、全長3メートルの原子爆弾「リトルボーイ」が積まれていた。

 広島原爆はウラン235という核分裂物質が使われ、爆発時のエネルギーは火薬の爆弾1万5千トン分に匹敵する。長崎で8月9日に投下されたプルトニウム原爆「ファットマン」とは形も中身も違い、アメリカは2種類の原爆を試したかったともいわれている。

 広島には5日夜から6日朝にかけて警戒・空襲警報が出されていた。午前7時31分に観測機が去ると、解除され、安心した市民はいつもの生活に戻っていた。

 6日午前8時の広島市の気温は26.7度。観測機は「天気も良好で爆撃可能」とエノラ・ゲイに伝えた。周りの都市のように空襲を受けてこなかった街は、無警戒に近かった。

■平成最後の8月6日を迎えて
 昇る陽(ひ)がまぶしさを増し、乱反射した白い光が広島の街を包む。73年前のきょうも、空は晴れ渡っていた。道行く人たちは、半袖から突き出た腕をじりじりと太陽に焼かれながら、職場や学校へと向かっていただろう。

 午前8時15分。閃光(せんこう)が走り、熱線と爆風が、街を壊滅させた。たった一発の原子爆弾が、多くの無辜(むこ)の命を奪った。

 被爆地となった広島は73年後の今年夏、未曽有の豪雨災害の被災地になった。山裾の家々は土砂に押し流され、県内だけで死者は100人を超えた。平成最後の8月6日は、被災1カ月と重なった。

 ただ、この街は幾度も困難から立ち上がってきた。

 過去と現在。時を超えて人々を結ぶのは、あの日の記憶と平和への思い。一つの時間軸にさまざまな事象を刻みながら、広島の特別な一日をたどる。
| 環境とまちづくり | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
7月の猛暑と豪雨「異常気象だったと考えられる」気象庁
 先月は平均気温が東日本で統計開始以来、7月としては最も高くなったほか、西日本も過去2番目に高くなり、記録的な暑さとなりました。

 また、梅雨前線や台風の影響で西日本を中心に記録的な豪雨となり、72時間の降水量が全国120余りの観測点で、統計開始以来最も多くなるなど記録ずくめの月となり、気象庁は「異常気象だったと考えられる」としています。

 今月も中旬にかけて猛暑が続く見込みで、熱中症に十分注意が必要です。

 気象庁によりますと、先月は、8日ごろにかけて活発な梅雨前線や台風の影響で全国的に大雨となりました。

 特に西日本を中心に大量の水蒸気が流れ込んで記録的な豪雨となり、各地で甚大な被害が出ました。

 72時間に降った雨の量は、高知県の馬路村魚梁瀬で1319.5ミリ、岐阜県郡上市ひるがので868ミリ、広島県呉市で465ミリなどとなり、全国122の観測点で統計を取り始めてから最も多くなりました。

 さらに、その後は、東日本と西日本を中心に勢力の強い高気圧に覆われて猛烈な暑さが続きました。

 23日には、埼玉県熊谷市で41度1分を観測し、国内で最も高い気温の記録を更新したほか、東京・青梅市で40度8分まで上がるなど、先月は、全国にある108の観測点で過去最も高い気温を観測しました。

 この結果、平均気温は、いずれも平年と比べて、東日本で2度8分高くなり昭和21年に統計を取り始めてから7月としては最も暑くなったほか、西日本では1度6分高くなり、7月としては過去2番目に高くなりました。

 また、日照時間も東日本の日本海側で平年のおよそ1.8倍に達し、統計開始以来、最も多くなるなど、記録ずくめの1か月となりました。

 これについて、気象庁気候情報課の竹川元章予報官は、「7月の豪雨と猛暑は、30年に1度以下しか発生しない現象とみられ、『異常気象だった』と考えられる。地球温暖化が進む中、この先も顕著な現象が起こる可能性があり、注意が必要だ。また、今月も中旬にかけて気温が高い状況が続く見込みで、熱中症に十分注意してほしい」と話しています。

 この記録ずくめとなった7月の天候が社会に大きな影響を与えたとして、気象庁は、専門家で作る「異常気象分析検討会」の臨時の会合を今月10日に開き、原因やメカニズムなどについて詳しく分析することにしています。
| 環境とまちづくり | 05:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
小池知事が豊洲市場の安全宣言
 東京 築地市場の豊洲への移転をめぐる問題で、専門家による会議が豊洲市場のオープンの前提となる追加の対策工事の安全性を確認したことを受けて、東京都の小池知事は31日夜、「安心、安全な市場として開場の条件を整えることができた」と述べ、豊洲市場の安全宣言を行いました。

 豊洲市場は10月のオープンに向けて大きく動き出すことになります。

 東京 築地市場の移転先となる豊洲市場では、建物の地下に本来、行うはずだった盛り土の工事が行われていなかったことが明らかになり、都が追加の安全対策工事を行ってきました。

 都が設置した専門家会議が、30日、今回の工事について「将来リスクを踏まえた安全性が確保された」とする検証結果をまとめたことを受けて、都は31日夜、関係部局の幹部会議を開きました。

 この中で、小池知事は、「豊洲市場は産地、出荷者、市場関係者、さらに消費者の皆さんに安心して利用していただける安心・安全な市場として、開場の条件を整えることができた」と述べ、豊洲市場の安全宣言を行いました。

 市場の移転をめぐっては、築地市場の業界団体が、豊洲市場の地下の土壌汚染問題などによる風評被害が深刻だとして、小池知事に対して「安全宣言」を出すよう求めていました。

 都は近く農林水産大臣に対し、市場移転の認可を申請することにしていて、豊洲市場はことし10月11日のオープンに向けて大きく動き出すことになります。

◇「移転準備の加速に期待」
 小池知事は、会議の終了後、記者団に対して、「豊洲市場が安全であり、利用者に市場として使用いただける状況になったことは、すなわち、安全宣言と言っていいと思う」と述べました。

 また、小池知事は、会議に先立って築地市場の業界団体に安全宣言を伝えたことを明らかにしたうえで、「移転までたった2か月だが、これで市場関係者も移転準備にさらに腰が入るのではないかと期待している」と述べました。
| 環境とまちづくり | 06:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
火星が15年ぶりに地球に大接近

 15年ぶりに火星が地球に大接近しています。31日は最も近づく日で、南の方角の夜空に明るく輝く赤い火星を見ることができます。

 火星と地球は十数年に1回、大接近をしていて、今回はおよそ1か月前から明るく輝く様子が見られ、31日、その距離は5759万キロメートルともっとも近づいています。

 およそ3億キロ離れていたことし1月と比べると見た目の大きさはおよそ5倍になり、明るさは1等星と比べても数十倍輝きます。

 国立天文台によりますと、地球と火星の距離が6000万キロを切る「大接近」は2003年以来、15年ぶりです。

 日本では午後7時前後に南東から昇り、真夜中ごろには南の方角の高い場所、月の右側に明るく輝く赤い火星をみることができます。

 そして、明け方には南西の方角に沈みます。

 晴れていればビルや街灯など光が多い都市部でも観察ができるということで、全国各地で観望会が予定されています。

 火星が明るく輝く状態はことし9月上旬まで続くということで、国立天文台では、「火星の明るさや大きさが日々変化していく様子を観察してほしい」と話しています。

 次回の火星大接近は17年後、2035年の9月11日で、今回よりも近い5691万キロまで近づきます。

◇15年ぶりの「大接近」
 地球の1つ外側の惑星、火星は、687日かけて太陽の周りを回っています。

 地球と火星はおよそ2年2か月ごとに接近しますが、地球は太陽を中心に円軌道を回っているのに対し、火星はだ円形の軌道を回っているため、接近しても距離が近い時と遠く離れる時があります。

 国立天文台によりますと、遠い時は1億キロ余り離れるため「小接近」と言われています。一方、近い時は6000万キロを切り、この場合が「大接近」と呼ばれています。

 「大接近」はおよそ15年から17年に1度の頻度で起き、「小接近」に比べ、見た目の大きさは倍となり、明るさも数倍輝いて見えます。

 火星はことし9月上旬まで明るく見える時期が続き、国立天文台の縣秀彦准教授は「1等星よりも数十倍明るく、とても目立つ存在として見え、晴れていれば都会でもどこでも観察できます。今回は15年ぶりの大接近で極めて条件のいい接近になっています」と話しています。

◇各国が観測や探査を強化
 地球の1つ外側を回る惑星、火星。

 水が流れていた跡や有機物が見つかっていることから、生命が存在する可能性があるとして、各国が観測や探査を強化しています。

 現在、火星を回る探査機は6機、火星の地表を移動して調べている探査車は2機あり、さまざまなデータを日々、地上に送ってきています。

 このうち、火星で2機の探査車を運用しているNASA(アメリカ航空宇宙局)は、2012年に送り込んだ探査車「キュリオシティ」が、先月、かつて湖だったと見られているクレーターから有機物を発見したと発表しました。

 また、火星を周回しているヨーロッパ宇宙機関の探査機「マーズ・エクスプレス」は、レーダーを使った分析から、火星の南極にある氷の下に水が液体の状態で存在していることを示すデータを得たと今月発表し、大きな話題を呼んでいます。

 日本でも火星探査の計画が進んでいます。フランスと協力して、火星の2つの衛星「フォボス」と「ダイモス」に探査機を着陸させて地表の物質を採取して地球に持ち帰るプランを検討中で、6年後の打ち上げを目指しています。

 さらに、将来的には火星に人を送る計画もあります。

 NASAは、2030年代前半には新型のロケットで火星に宇宙飛行士を送る計画を発表しているほか、アメリカのベンチャー企業「スペースX」は、6年後に100人ほどが乗れる宇宙船を新型のロケットで打ち上げ、火星に着陸させる計画を打ち出しています。

◇天体望遠鏡が人気
 15年ぶりに火星が地球に大接近しているのに合わせて、天体望遠鏡が人気を集めています。

 このうち、東京 有楽町にある家電製品などを扱う量販店では、天体望遠鏡のコーナーをフロアの中心に設けています。

 今月の売り上げは去年のおよそ3倍ということで、主に2万円から5万円のモデルがよく売れているということです。

 販売員の盛亮太さんは、「夏休みシーズンなので、自宅で火星を観察したいという家族連れからの問い合わせが多いです。火星は9月上旬までは明るく見えるので、天体望遠鏡を使って楽しんでほしい」と話していました。
| 環境とまちづくり | 19:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
「自治体株主制度」は地方を救うのか
 高額な返礼品や都市部の税収減少を巡りつばぜり合いを繰り広げる国と自治体を尻目に、北海道・東川町の株主制度は、都市と地方との新たな付き合い方に一石を投じています。

◎北海道の寒村が挑む「自治体株主制度」が凄い 返礼品で終わらない、長い関係性の作り方
 (7月29日 東洋経済オンライン 一井 純)

 総会シーズンからはやや外れた10月中旬、北海道で株主総会が開催される。会場に着くなり株主は森に分け入ると、なぜか植樹にいそしむ。午後になってようやく事業報告が行われたかと思いきや、その後株主は陶芸体験や温泉へと三々五々に散らばる。こんな総会を主催するのは、上場企業どころか企業ですらない。「町」だ。

 旭川空港から車で約15分の場所にある北海道上川郡東川町。年によっては9月に雪がちらつき、冬場の寒い日にはマイナス20度近くにまで冷え込む。隣の旭川市のように動物園やラーメンといった観光資源もなければ、鉄道、国道、上水道の「3道」もない。置かれた条件はなかなか厳しい。

 そんな町の株主総会に昨年は約150人が集まった。北海道外からの参加者も多いという。何の変哲もない寒村が、なぜここまで人を惹きつけるのか。

◇市町村合併への反発
 「人口を1万人に戻すにはどうすればいいんだ」――。

 2003年から町長を務める松岡市郎氏は悩んでいた。頭痛の種は国が押し進めていた市町村合併だ。財政悪化や人口減少を懸念した自治体が続々と合併を決める中、一時は東川町にも周辺自治体との合併話が持ち上がった。

 合併しても町は幸せにならない、と選挙戦で合併反対を掲げて当選した松岡町長。だが、合併の可否にあたって国が暗示した基準は「人口1万人未満」。東川町の人口は1950年に記録した1万0754人をピークに、1960年代に1万人を割って以降減少の一途を辿った。1994年の約6900人でいったん底を打ったものの、1万人の大台にはほど遠い。

 合併抜きにどうやって人口規模を保つか。「町に住んでいる人だけでなく、応援してくれる人だって“住人”だ。これからの時代、定住人口が大きく回復することはない。ならば、定住人口を一定に保った上で、町を応援してくれる人を増やしていこう」(松岡町長)。

 定住人口8000人に応援人口2000人を足して1万人。国の役人が来ても、「冗談じゃない、うちにはきちんと人口1万人がいるぞ」と言いのけて追い返してやる。そんな反骨精神から、応援人口づくりは始まった。

 とはいえ、ひとくちに応援人口を増やすといっても簡単ではない。単に応援してくれるだけでなく、義務と負担を負ってこそ住民と言える、と町長は考えた。

 町外に住む人たちを対象にした税金を創設できないか、あれやこれやと議論は続くも、縁もゆかりもない自治体に納税するという前代未聞な制度はなかなか実現しなかった。

 国にも相談したが、「何を考えているんですか。自治体なんて全国に無数にあるのに、そんな相談はいちいち相手にしてられませんよ」とあしらわれてしまう始末。

 何かいいアイデアはないものか、そう考えあぐねていた矢先に飛び込んできたのが、2008年に制度化されたふるさと納税だった。これを活用しない手はない、と松岡町長は即断した。

◇株主優待の制度を取り入れる
 ただ「納税というと一方的に取られるだけの響きがある。自ら目的を持って、自主的に参加する形にしたい」。

 すると、当時都内の民間企業での研修に参加していた若手職員がおもむろにこう提案した。「株式会社には、株主優待という制度があります。参考にしてみては?」。このやりとりが、ひがしかわ株主制度誕生のきっかけになった。

 納税者との長期的な関係を築くために参考にしたのは、企業と株主の関係だ。短期的に売買する株主もいる一方、企業の経営方針に共感し、応援する意味で長期的に株式を保有する株主も多い。こうした長期保有者こそ、町長が目指した応援人口の姿だった。

 仕組み自体はふるさと納税制度を下敷きにしているものの、細部は株式投資をヒントにした。町に投資(寄付)する際は、スローガンである「写真の町」の情報発信やスキー選手の育成、町産ワインの醸造など、どの事業に投資するかを株主自身が決める。

 各事業には目標金額と募集期間が掲げられ、毎年各事業の進捗や運用経費が報告される。自分の投資がどのように使われ、どう役立っているかが分かるのだ。

 ほかの市町村と同じように返礼品もあり、特産品の農産物や木工品などが贈られる。ユニークなのは、株主証と特別町民証だ。株主証があれば町内の公共施設を町民価格で利用できたり、町内の買い物でポイントが貯まったり、株主専用の宿泊施設もできたりする。文字どおり、「株主優待」が受けられるわけだ。

 いずれも町まで足を運ばせる仕掛けとなっており、その最たる例が冒頭の株主総会。交通費の一部補助はあるものの、遠方からわざわざ参加する株主も少なくない。

 近年のふるさと納税ブームを受けて株主の人数は急増しているが、人数だけでなく熱量の高さも特徴だ。毎年投資を続ける株主も多く、「リピート率が6割を超えていた年もあった」(町の担当者)。そこには税金を徴収されるという後ろ向きな意識はない。「町を見てもらうことで、(株主との)縁が切れないようにしている」(松岡町長)。

◇一村一品運動で「コト」を掲げた
 今でこそユニークな制度で支持を集める東川町だが、決して順風満帆な道のりだったわけではない。

 1979年、当時の大分県知事が提唱した「一村一品運動」。各市町村が特産物を1つ掲げようという運動で、東川町としても押し出すべきものを探しているところだった。

 開拓以来歴史の浅い北海道及び東川町にとり、特産品といっても米や野菜といった他地域と代わり映えのしないものばかり。「だったら、文化を掲げたらどうか、となった。ちょうどカメラの誕生と北海道(東川町)の歴史は同じくらいだし」(松岡町長)。

 東川町はちょうど、大雪山や国立公園など、写真映えのする大自然を抱える。これを期に公共施設や住宅も写真映えのするものに変え、レンズを向けられたらポーズを構えてくれるような、元気な子どもを育てていこう。ほとんどの自治体が「モノ」を掲げる一村一品運動にあって、「コト」を掲げたのは異例だった。1985年6月1日、晴れて東川町は「写真の町」を宣言した。

 単に宣言をするだけでなく、自他共に認める写真の町になるべく、行動も早かった。町独自の条例を制定するとともに、町役場の看板には堂々と「写真の町」の文字を掲げ、役場にかかってきた電話には「はい『写真の町』、東川町です」。同年夏からは毎年「国際写真フェスティバル」を開催。さらに1994年からはその高校生版とも言える「写真甲子園」も主催している。

 だが、現実はなかなか思い通りにはいかない。始めた頃は背伸びをして、ヌード写真やピンぼけといった、「普通の人にはちょっとよく分からない写真」に賞を贈っていた。町としては、町中が写真目当ての人や車でごった返す姿を思い描いていたが、「10年後、そうはならなかった」(松岡町長)。

 2005年には、宣言の時から二人三脚で写真の町のプロジェクトを進めていた企画会社が倒産してしまう。これまで企画会社を介在して写真家やメーカーと取引をしていたのが、今度は役場職員自ら交渉の場に立たなければならなくなった。

 だが、この災いが転じて福となる。職員自身が動き、アイデアを出すことが日常化していったのだ。職員が自分たちで人脈も作った。国際写真フェスティバルは国内外の写真家に権威ある大会として知られるようになり、ローカル色の強かった写真甲子園も徐々に全国区へと拡大。今では300校以上が予選会に参加する、名実ともに「甲子園」へと成長した。そうして培った人脈は、ひがしかわ株主制度でも活かされた。

◇「3ない」を打破せよ
 高額な返礼品や都市部の税収減少を巡りつばぜり合いを繰り広げる国と自治体を尻目に、独自制度で町のファンを着実に増やしつつある東川町。「ほかの首長と話していると、◯◯がない、という話題になる。だが、実現するためにどうするか知恵を絞るのが行政だ」(松岡町長)。財源がない、前例がない、ほかの自治体でやってない――自治体が抱えがちな「3ない」を打破することこそがカギだという。

 地方創生の号砲一発、一斉に走り出した地方自治体だが、一部には息切れも見える。東川町の株主制度は、都市と地方との新たな付き合い方に一石を投じている。
| 環境とまちづくり | 06:39 | comments(0) | trackbacks(0) |