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昭和天皇 拝謁記 国民の目を気にする姿も克明に

 昭和天皇との対話を記した初代宮内庁長官の「拝謁記」には、昭和天皇が国民の目や国民との距離を気にして、自らの暮らしぶりが贅沢(ぜいたく)に見えないかや、皇室についての報道に神経をとがらせる姿が記されています。

 拝謁記」を記していたのは、民間出身の初代宮内庁長官だった田島道治で、戦後つくられた日本国憲法のもとで、昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務めました。在任中、600回余りのべ300時間を超える昭和天皇との対話を詳細に記録していました。

 田島長官が仕えた時期は、昭和天皇が象徴として歩み始めた一方、退位の問題もくすぶっていて、「拝謁記」には、昭和天皇が国民の目を気にする様子がたびたび記されています。

 終戦から4年がたった昭和24年8月30日の拝謁では、住まいとして使い続けていた防空施設の「御文庫(おぶんこ)」の増築が話題に上ると、昭和天皇は、「今ハ皇室殊ニ私ニ対シテ餘(あま)リ皆ワルク思ツテナイ様デ一部ニハ退位希望者アルモ大体ハ私ノ退位ヲ望マヌ様ナ時ニ私ガ住居ヲ大(おおい)ニ新築デモシタ様ニ誤伝セラルレバ私ハ非常ニ不本意デ、イハバ(いわば)一朝(いっちょう)ニシテ信ヲ失フ事ハツマラヌト思フ」と述べたと記されています。

 さらに、昭和26年12月19日の拝謁では、昭和天皇が葉山御用邸での静養について、「退位論などを唱へる人達、生活ニ困つた人特ニ軍人など戦争の為ニひどい目ニあつた人から見ると私が葉山へ行くなど贅沢の事をしてると思ふだらう」と懸念を示し、「行つていゝか」と田島長官に尋ねたと記されています。

 これに対し田島長官が、「退位其他の事を云々(うんぬん)する人ハ葉山へ御出掛などをそう八釜(やかま)しく申しハ致しませぬし、大切な御位置の方の御健康上御よろしい事ハ結構な事であります故よろしいと存じまして」と述べると、昭和天皇は「そんならそれでよろしい」と述べ安心した様子を見せたと記されています。

 一方、皇室についての新聞報道に神経をとがらせる様子も記されていました。

 昭和28年11月4日の拝謁では、昭和天皇が大手新聞の報道に触れ、「『菊のかーてん』などと書き出してハ誠ニ困る」と述べたと記されています。

 これに対し田島長官が、「内容を読みますれば宮内庁のやり方の批難ではありませぬがどうも標題がわるうございまして」と述べると、昭和天皇は「見出しだけで中を読まぬ人も多く『菊のかーてん』といふ言葉で想像して皇室が国民ニ接近したがらぬとの印象を与へる事ニなつてハ困る」と述べたと記されています。

 分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は、「国民の総意に基づく象徴天皇である以上は、いかに国民に受け入れてもらえる形を作るか、国民との関係をきちんと考えなくてはいけなくなったということが読み取れるのではないか」と指摘しています。
| 政策 | 08:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
昭和天皇 拝謁記「国民が退位希望するなら躊躇せぬ」

 昭和天皇との対話を記した初代宮内庁長官の「拝謁記」から、敗戦後の退位をめぐる問題が決着したとされる東京裁判の後にも、昭和天皇が「国民が退位を希望するなら少しも躊躇(ちゅうちょ)せぬ」と語るなど、退位の可能性にたびたび言及していたことがわかりました。

 分析にあたった専門家は、「本当に皇室が国民に認められるかどうかがすごく気になっていて、存続には国民の意思が決定的に重要だという認識がみえる」と指摘しています。

 「拝謁記」を記していたのは民間出身の初代宮内庁長官だった田島道治(たじま・みちじ)で、戦後つくられた日本国憲法のもとで、昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務めました。在任中、600回余り延べ300時間を超える昭和天皇との対話を詳細に記録していました。

 昭和天皇の退位をめぐる問題は、これまでの研究で、昭和23年11月の東京裁判の判決に際し、昭和天皇が連合国軍最高司令官のマッカーサーに手紙を送り、退位せず天皇の位にとどまる意向を伝えたことで、決着したとされてきました。

 しかし、「拝謁記」には、判決から1年が過ぎた昭和24年12月に、昭和天皇が田島長官に、「講和ガ訂結(ていけつ)サレタ時ニ又退位等ノ論が出テイロイロノ情勢ガ許セバ退位トカ譲位トカイフコトモ考ヘラルヽ」と退位の可能性に言及し、そのためには当時皇太子だった上皇さまを早く外遊させてはどうかと述べたと記されていました。

 また、サンフランシスコ平和条約の調印が翌月に迫った昭和26年8月には「責任を色々とりやうがあるが地位を去るといふ責任のとり方は私の場合むしろ好む生活のみがやれるといふ事で安易である」と、退位したほうがむしろ楽だと語ったと記されています。

 さらに、その4か月後の拝謁でも「国民が退位を希望するなら少しも躊躇(ちゅうちょ)せぬ」と述べたと記されています。

◇日大 古川教授「退位が偽らざる本心と思う」
 「拝謁記」の分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は、「これだけ大きなことを起こした責任者だったら辞めて責任を取るのがいちばん普通なので、常識的に考えれば退位したほうがいいのだろうと昭和天皇もわかっていたはずだし、辞めたほうが気が楽になるというのが昭和天皇の偽らざる本心だと思う」と述べました。

 そのうえで、「本来なら退位して当然の立場で、留位するということが本当に皇室が国民に認められていくことにプラスになるかどうかがすごく気になっていた。存続させていくために、国民の意思が決定的に重要だという認識があるからこそ、世評を気にしていることが拝謁記にしょっちゅう出てくるのだろう」と指摘しました。

◇一橋大 吉田特任教授「道義的責任をはっきり意識」
 日本の近現代政治史が専門の一橋大学の吉田裕特任教授は、「昭和23年末の段階で退位問題には決着がつけられたと思っていたので、その後もくすぶっていて、昭和24年の段階でもまだ退位のことを言っているというのは全く予想しなかった」と述べました。

 そのうえで、「退位問題の裏には君主としての責任感があるが、それは国民に対する責任と歴代の天皇や天皇家の祖先に対する責任の2つがある。敗戦という事態を迎え、それまで続いてきた国体を危機に陥れてしまったことに対する道義的な責任をはっきり意識していることが、拝謁記の記述からわかった」と話しました。

 さらに、「天皇制廃止の立場からではなく、天皇制や国体の護持を望む立場からの退位論が周囲にかなりあり、それを意識せざるをえない状況がずっと続いていたことがわかるし、昭和天皇が退位論に関するいろいろな議論に細かく目を通していたこともよくわかる」と述べました。
| 政策 | 16:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
昭和天皇「拝謁記」入手 語れなかった戦争への悔恨

 天皇陛下の祖父、昭和天皇の実像に迫る第一級の資料です。

 NHKは、初代宮内庁長官が5年近くにわたる昭和天皇との対話を詳細に書き残した「拝謁記」を入手しました。

 その記述から、昭和天皇が、戦争への後悔を繰り返し語り、終戦から7年後の日本の独立回復を祝う式典で、国民に深い悔恨と、反省の気持ちを表明したいと強く希望したものの、当時の吉田茂総理大臣の反対で、その一節が削られていたことがわかりました。

 分析にあたった専門家は、「昭和天皇は生涯、公の場で戦争の悔恨や反省を明確に語ったことはなく、これほど深い後悔の思いを語ろうとしていたのは驚きだ」と話しています。

◇繰り返し語る後悔の言葉
 「拝謁記」を記していたのは、民間出身の初代宮内庁長官だった田島道治(たじま・みちじ)で、戦後つくられた日本国憲法のもとで、昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務めました。

 田島長官は、このうち長官就任の翌年から5年近く、昭和天皇との具体的なやりとりや、そのときの様子などを手帳やノート合わせて18冊に詳細に書き留めていて、NHKは遺族から提供を受けて近現代史の複数の専門家と分析しました。

 その記述から昭和天皇が田島長官を相手に敗戦に至った道のりを何度も振り返り、軍が勝手に動いていた様を「下剋上」と表現して、「考へれば下剋上を早く根絶しなかったからだ」、「軍部の勢は誰でも止め得られなかつた」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」などと後悔の言葉を繰り返し語っていたことがわかりました。

◇強くこだわった「反省」
 さらに、昭和天皇はサンフランシスコ平和条約発効後の昭和27年5月3日、日本の独立回復を祝う式典で、おことばを述べますが、この中で、戦争への深い悔恨と、二度と繰り返さないための反省の気持ちを国民の前で表明したいと、強く希望していたことがわかりました。

 「拝謁記」には1年余りにおよぶ検討の過程が克明に記されていて、昭和天皇は、(昭和27年1月11日)「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と田島長官に語り、(昭和27年2月20日)「反省といふのは私ニも沢山あるといへばある」と認めて、「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだといふ意味も今度のいふ事の内ニうまく書いて欲しい」などと述べ、反省の言葉に強くこだわり続けました。

◇削除された戦争への悔恨
 当時の日本は、復興が進む中で、昭和天皇の退位問題もくすぶっていました。

 田島長官から意見を求められた吉田総理大臣が「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」、「今日(こんにち)は最早(もはや)戦争とか敗戦とかいふ事はいつて頂きたくない気がする」などと反対し、昭和天皇が戦争への悔恨を込めた一節がすべて削除されたことがわかりました。

 昭和天皇は田島長官に繰り返し不満を述べますが、最後は憲法で定められた「象徴」として総理大臣の意見に従いました。

 吉田総理大臣が削除を求めた一節は、「国民の康福(こうふく)を増進し、国交の親善を図ることは、もと我が国の国是であり、又摂政以来終始変わらざる念願であったにも拘(かか)わらず、勢の赴くところ、兵を列国と交へて敗れ、人命を失ひ、国土を縮め、遂にかつて無き不安と困苦とを招くに至ったことは、遺憾の極みであり、国史の成跡(せいせき)に顧みて、悔恨悲痛、寝食(しんしょく)為(ため)に、安からぬものがあります」という部分です。

 このうち、「勢の赴くところ」以下は、昭和天皇が国民に伝えたいと強く望んだ戦争への深い悔恨を表した部分でした。

◇専門家「現代生きる者にも重い記録」
 「拝謁記」の分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は、「戦争を回顧し、重要な局面でなぜミスをしてしまったのか、繰り返し考え話す中で、独立回復の際のおことばにも、やはり反省を盛り込みたいという気持ちが強くなっていったのだろう」と述べました。

 そのうえで、「新憲法ができてから初めて、ある程度踏み込んだ発言ができるかもしれないチャンスが講和条約発効のおことばだった。反省なりおわびをして、どこかで戦争の問題にけりをつけたいということが出発点であり、一番の動機だというのははっきりしている」と指摘しました。

 さらに、「象徴天皇としてどういう振る舞い方をするかということを学習した過程でもあるだろうが、昭和天皇個人にとっては苦渋の過程というか、今後ずっとこうやっていかなきゃいけないのかということを認識させられた苦い思い出の方が大きかったのではないか。その後、記者会見で、肝心なことは『言えない』で通したことが、このときの苦渋の思いを引きずっていたことの表れなのだと思う。そういう意味で昭和天皇にとって、とても重い体験だったのではないか」と述べました。

 また、「拝謁記に出てくることは全部、結局は日本が無謀な戦争を起こして負けてしまったことにつながる。天皇のあり方が戦前の主権者から象徴へと変わったのも、政治関与を厳しく制限する規定ができたのも、敗戦がきっかけで、しかも形式的な責任者は昭和天皇本人だった」と話しました。

 そして、「拝謁記は、昭和の戦争というものは現代に生きるわれわれにまでいろいろな意味で重くのしかかっているということを改めて認識させる記録、忘れてはいけないということを語りかけてくれている記録ではないか」と話しました。
| 政策 | 19:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
天皇陛下 初の全国戦没者追悼式でおことば

 終戦の日の15日、天皇陛下は皇后さまとともに、初めて全国戦没者追悼式に臨み、戦争が繰り返されないことを願うおことばを述べられました。天皇陛下のおことばは、上皇さまの戦争と平和への思いを受け継ぐものとなりました。

 終戦から74年を迎えた15日、天皇皇后両陛下は、東京の日本武道館で行われた全国戦没者追悼式に臨まれました。

 両陛下は、これまで毎年終戦の日にはお住まいなどで黙とうしてきましたが、代替わりを経たことし、上皇ご夫妻にかわって初めて式典に出席されました。

 そして、正午の時報とともに参列者全員で黙とうをささげたあと、天皇陛下が、戦後生まれの天皇として初めてとなる、おことばを述べられました。

 天皇陛下は冒頭で、これまでの上皇さまと同様、「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします」と述べられました。

 そして、戦後の日本の歩みを振り返る部分では、上皇さまのおことばの「苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません」という表現を、「多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります」と言いかえられました。

 そして、戦没者を追悼し平和を願う結びの一文では、上皇さまの「深い反省とともに」という表現を、「深い反省の上に立って」と言いかえ、「再び戦争の惨禍が繰り返されぬことをせつに願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」と述べられました。

 天皇陛下のおことばは、戦争を体験していない世代として言い回しが変えられた部分はあるものの、「深い反省」という表現など、上皇さまのこれまでのおことばをほぼ踏襲し、戦争と平和への思いを受け継ぐものとなりました。

 式典の会場では、参列した遺族の代表らが、天皇陛下のおことばにじっと耳を傾けていました。

◇天皇陛下のおことば全文

 本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。

 戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

◇上皇さまの思い受け継ぐ
 戦後生まれの天皇陛下は、上皇さまの思いを大切に受け継ぎながら、戦争の歴史と向き合い平和を願われてきました。

 上皇さまは以前、日本では記憶しなければならない4つの日があるとして、終戦の日と、広島、長崎の原爆の日、それに、沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日の「慰霊の日」を挙げ、これらの日には欠かさず黙とうされてきました。

 天皇陛下も子どもの頃から、これらの日には黙とうし、上皇ご夫妻から戦争の悲惨さについて話を聞かれてきました。

 昭和の時代、上皇ご夫妻は、沖縄から上京した「豆記者」の子どもたちと毎年のように懇談されていましたが、まだ子どもだった天皇陛下もこの懇談にたびたび加わり、沖縄の歴史や文化への理解を深められました。

 天皇陛下は、昭和62年に初めて沖縄を訪れ、戦没者の慰霊に臨んだほか、「ひめゆりの塔」では、戦争当時の女学生たちから話を聞かれました。

 天皇陛下は、この訪問について、のちの記者会見で、「戦争の痛ましさ、そして戦前、戦後と沖縄のたどてきた苦難の道に思いを致しましたし、それと共に平和の尊さ、そして大切さというものを強くかみしめました」と振り返られています。

 平成に入り皇太子になると、天皇陛下は、戦争と平和への思いを行動で示されていきます。上皇ご夫妻から「豆記者」との懇談を受け継ぎ、去年まで毎年のように沖縄の子どもたちなどと交流されてきました。

 広島や長崎を訪れる機会があると、戦没者の慰霊に臨む一方で、被爆者が暮らす施設をたびたび訪れ、そのことばに耳を傾けることを大切にされてきました。

 また、平成19年のモンゴル訪問の際には、第2次世界大戦後、旧ソビエトによって抑留され、過酷な労働で命を落とした日本人の慰霊碑を訪れ、花を手向けられています。

 戦後70年を迎えた平成27年、天皇陛下は、誕生日にあたっての記者会見で、「私自身、戦後生まれであり、戦争を体験しておりませんが、戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」と話されました。

 また、翌年の会見では、「過去の経験に少しでも触れる機会を通じて、戦争の悲惨さ、非人道性を常に記憶にとどめ、戦争で亡くなられた方々への慰霊に努めるとともに、戦争の惨禍を再び繰り返すことなく、平和を愛する心を育んでいくことが大切だと思います」と述べられています。

◇愛子さまはお住まいで黙とう
 天皇皇后両陛下の長女の愛子さまも、お住まいの赤坂御所で、正午の時報にあわせて黙とうをささげられました。

 宮内庁によりますと、愛子さまは、毎年、終戦の日には、両陛下とともに黙とうをささげてきましたが、ことしはお一人で黙とうされました。

 愛子さまは、これまで、両陛下と戦争に関する展示会を訪れたり、遺族の話を聞いたりして、戦争や平和への考えを深められてきました。

 中学生の時には、修学旅行で広島市の平和公園を訪れ、その経験をもとに卒業文集に「世界の平和を願って」と題する作文を寄せ、「唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う」などと記されています。

◇「説得力のあるおことば」 ノンフィクション作家 保阪氏
 ノンフィクション作家の保阪正康さんは、天皇陛下のおことばについて、「戦争を体験していないという前提に立ちながらも、上皇さまや昭和天皇の思いを引き継いでいるかなり説得力のあるおことばだと思った。戦争を直接は知らないけれども、その悲惨さを伝えていきたいといった天皇陛下の思いが込められていて、安ど感や安らぎのような気持ちを覚えた」と述べました。

 また、上皇さまが「深い反省とともに」と述べられていた部分を、天皇陛下が「深い反省の上に立って」と言いかえられたことについて、「これは重要な違いで、上皇さまのことばは、同じ時代を歩みながら戦争を受け止めてきた立場でのものだが、天皇陛下のことばは、戦争を歴史的な見方で捉えたうえで、『深い反省』を自分が次の時代につないでいくという思いをあらわしたものだと言える」と話していました。

◇「遺族への気持ちが強く伝わってくる」
 追悼式に出席した沖縄県遺族連合会会長の宮城篤正さんは(78)天皇陛下が皇太子として沖縄を訪ねられた際にことばを交わしたこともあり、15日のおことばに注目していました。

 おことばについて宮城さんは、「遺族への気持ちが強く伝わってくるもので、上皇さまの思いを確実に受け継いでいらっしゃると感じられ、よかったと思います。戦没者に対する哀悼のことばも非常に思いのこもったものでした」と話していました。
| 政策 | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
終戦から74年 全国戦没者追悼式

 終戦から74年を迎えた15日、およそ310万人の戦没者を慰霊する政府主催の全国戦没者追悼式が東京の日本武道館で行われました。

 令和になって初めてとなる式典には、全国から遺族の代表など6201人が参列しました。ことしは台風10号の影響で宮崎県の遺族など64人が急きょ出席を見送りました。

 天皇陛下は、皇后さまとともにことし5月に即位されてから初めての出席となる式典に臨み、菊の花で飾られた式壇に着かれました。

 続いて、安倍総理大臣が、「今、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、私たちは決して忘れることはありません。いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも決して忘れません。ご遺骨が一日も早くふるさとに戻られるよう、私たちの使命として全力を尽くしてまいります。戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この誓いは昭和、平成、そして令和の時代においても決して変わることはありません」と式辞を述べました。

 そして、参列者全員で1分間の黙とうをささげました。

 続いて、天皇陛下が、「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことをせつに願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」とおことばを述べられました。

 このあと、遺族を代表して、昭和19年12月に東部ニューギニアで父親を亡くした横浜市南区の森本浩吉さん(77)が、「私たちの多くは父の顔も知らず、父との記憶思い出さえない忘れ形見の遺児です。戦没者の遺骨収集を国の責務と明記した法律に基づきご遺骨の一柱でも多く一日でも早く祖国帰還が叶いますことを遺族は強く望んでいます。今日、平和を享受しているのは多くの尊い犠牲が礎であることを決して忘れることなく、感謝し偲んでいただく日々となることを望んでいます」と述べました。

 式典では、このあと、参列者が式壇に菊の花を手向けて、戦争で亡くなったおよそ310万人の霊を慰めました。

 終戦から74年を迎えて遺族の高齢化が進み、参列した遺族のおよそ8割が70歳以上となり、戦没者の妻は5人にとどまっています。

 その一人で、最年長の参列者でもある東京都に住む97歳の内田ハルさんは、昭和20年6月に沖縄で、夫の憲司さん(当時36)を亡くしました。

 内田さんは、「毎年欠かさず参列しています。戦争は絶対いけません。私のような悲しい人がいっぱいいる。二度としてはいけない」と話していました。

 また、戦争の記憶を受け継いでいこうと、18歳未満の若い世代が95人式典に参列しています。

 このうち、香川県の中学3年生、三谷昇大さん(14)は、曽祖父の實吾さんが昭和20年にビルマで戦死しています。

 三谷さんは、「修学旅行で行った沖縄で実際にひめゆりの塔やガマを見学して戦争の悲惨さを思い知りました。きょうは、ひいおじいちゃんへの慰霊の気持ちをしっかりともって、献花したいです」と話していました。

◇上皇ご夫妻も黙とう
 宮内庁によりますと、上皇ご夫妻も、お住まいの吹上仙洞御所で、テレビの中継番組を通じて戦没者追悼式をご覧になりました。

 そして、正午の時報とともに、黙とうをささげられたということです。

◇各地の追悼式 台風影響で中止や延期に
 15日は全国各地でも戦没者の追悼式が開催されましたが、台風の影響で西日本を中心に中止や延期が相次ぎました。

 このうち、愛媛県では参列者の安全を考慮して、14日中止を決めました。

 昭和62年から開催してきた追悼式を中止したのは初めてだということです。

 また、福岡県や熊本県でも中止になったほか、愛知県では延期となりました。

 このほか、広島市の平和公園で被爆者や高校生たちが戦争や核兵器のない世界の実現を願って「平和の鐘」を鳴らす催しや、大阪市の「戦争犠牲者追悼式と平和コンサート」、大分市の特攻隊員の慰霊祭など「終戦の日」に合わせた行事も各地で中止や延期となっています。
| 政策 | 20:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
長崎 平和宣言「被爆国の責任として核兵器禁止条約に署名を」

 長崎に原爆が投下されてから74年となる9日、長崎市で平和祈念式典が行われ、田上富久市長は平和宣言で、「唯一の戦争被爆国の責任として、核兵器禁止条約に一刻も早く署名、批准すべきだ」と述べ、日本政府に対して、戦争をしないという平和の理念を世界に広げるためのリーダーシップを発揮するよう求めました。

 長崎市の平和公園で行われた式典には、被爆者や遺族、それに66か国の代表を含むおよそ5900人が参列し、この1年間に亡くなった被爆者など3402人の名前が書き加えられた、18万2601人の原爆死没者名簿が納められました。

 そして、原爆がさく裂した午前11時2分に合わせて鐘が鳴らされ、原爆で亡くなった人たちに黙とうがささげられました。

 長崎市の田上市長は、平和宣言の中で、原爆によって家族全員を亡くした被爆者、山口カズ子さんが、当時、目の当たりにした惨状をつづった詩を引用し、二度と原爆を使ってはならないという被爆者の思いを訴えました。

 そして、核兵器廃絶に向けた国際情勢が厳しさを増す中、核保有国に対して核軍縮の義務を果たすよう求めるとともに、日本政府に対しては「唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に批准・署名し、『戦争をしない』という平和の理念を世界に広げるリーダーシップを発揮するべきだ」と訴えました。

 これに対し、安倍総理大臣は、「核軍縮をめぐっては各国の立場の隔たりが拡大している」としたうえで、「『核兵器のない世界』の実現に向けて、核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取り組みを主導していく決意だ」と述べた一方、核兵器禁止条約については言及しませんでした。

 また、被爆者を代表して「平和への誓い」を読み上げた山脇佳朗さん(85)は、「被爆者が生きているうちに、世界で唯一の被爆国として、核保有国に核兵器を無くすよう働きかけ、核兵器廃絶のきぜんとした態度を示してほしい」と述べ、最後に「世界から核兵器を廃絶し、長崎を最後の被爆地にするため、皆さんの力を貸してください」と英語で呼びかけました。

◇平和への誓い「あらゆる核保有国に働きかけを」
 平和祈念式典で被爆者を代表して「平和への誓い」を述べたのは、長崎平和推進協会で被爆体験の語り部活動を続け、政府の「非核特使」にも任命された山脇佳朗さんです。

 山脇さんは、11歳のときに爆心地からおよそ2.2キロの自宅で被爆し、父親を原爆で亡くしています。

 山脇さんは「平和への誓い」の中で、兄弟3人で亡くなった父親を火葬したものの、変わり果てた姿に驚き、逃げ出してしまった体験を語りました。

 そして、被爆後に急性肝炎や腎炎、胃がんを発症しながらも、60歳を過ぎて独学で英語を学び、国際会議などで世界に向けて核兵器廃絶を訴えてきたことを紹介しました。

 そのうえで、安倍総理大臣に対し、「被爆者が生きているうちに、世界で唯一の被爆国として、あらゆる核保有国に『核兵器をなくそう』と働きかけてください。アメリカに追従することなく、核兵器廃絶のきぜんとした態度を示してください」と訴えました。

◇爆心地で祈り
 長崎市松山町の爆心地公園でも、原爆がさく裂した午前11時2分に合わせて訪れた人たちが黙とうし、犠牲者に祈りをささげました。

 15歳のときに爆心地から1.5キロのところで被爆したという長崎市の90歳の女性は、「原爆の爆風を受けて、今も耳が聞こえにくい状態が続いています。被害に遭いたくて遭ったわけではないのに、悔しい思いもたくさんしてきました。あの日のことは一度も忘れたことはありません」と話していました。
| 政策 | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
6月の景気動向指数3か月ぶりに低下 5年2か月ぶりの下げ幅
 内閣府が発表したことし6月の景気動向指数は、自動車の生産が落ち込んだことなどから3か月ぶりに低下しました。

 その幅は、3ポイントと、5年2か月ぶりの大きな低下でした。

 内閣府が発表したことし6月の景気動向指数によりますと、景気の現状を示す「一致指数」は、平成27年を100として100.4となり、前の月を3ポイント下回りました。

 指数が低下するのは3か月ぶりで、下落幅は消費税率が8%に引き上げられた平成26年4月以来、5年2か月ぶりの大きな低下となりました。

 これは、自動車や工場の機械設備などの生産が落ち込んだほか、有効求人倍率も前の月より低下したことなどが主な要因です。

 景気の基調判断は、5月に「悪化」から景気後退の動きが下げ止まっている可能性が高いことを示す「下げ止まり」に上方修正されましたが、6月もこの判断が維持されました。

 内閣府は、「今回の基調判断は基準を機械的にあてはめたもので、政府としての正式な景気判断は月例経済報告で示したい」としています。
| 政策 | 06:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
食料自給率37% 平成5年度と並び過去最低

 国内で消費された食料がどれだけ国産でまかなわれたかを示す食料自給率は、昨年度、カロリー基準で37%と、コメが記録的な不作となった平成5年度と並んで過去最低となりました。

 日照不足などの天候不順が主な要因です。

 農林水産省の発表によりますと、昨年度の食料自給率はカロリー基準で前の年度より1ポイント下がって37%となりました。

 これはコメが記録的な不作となった平成5年度と並んで過去最低の水準です。

 農林水産省は日照不足などの天候不順により最大の産地の北海道で小麦や大豆の生産量が減ったことや牛肉や乳製品の消費が好調で輸入が増えていることなどが主な要因だとしています。

 また、生産額を基準にした食料自給率は、生産量の増加によって砂糖の生産額が増えた一方で、野菜の価格が低迷したことなどから、前の年度と変わらず66%となりました。

 政府はカロリーを基準にした自給率を6年後の令和7年度までに45%にする目標を掲げていますが、達成のめどはたっていません。

 農林水産省は、「自給率の高いコメの消費の減少が続くなど、食生活の変化も影響しているとみられる。水田を活用した大豆や麦の生産拡大や農地の集積など、生産基盤の強化にさらに取り組みたい」としています。
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ホワイト国除外、日本企業は楽観的
◎ホワイト国除外に韓国猛反発も日本企業「影響は軽微」
 (2019/08/02 16:45 産経新聞)

 政府は2日、安全保障上の輸出手続きを優遇する「ホワイト国」から韓国を除外することを閣議決定した。

 7月に輸出管理が強化された半導体材料の3品目に加えて、軍事転用が可能な工作機械や炭素繊維などの幅広い品目が対象になる。

 サプライチェーン(部品供給網)の寸断が不安視されるが、日本の産業界では「日本が輸出を止めるわけではない。

 大きな影響は出るとは考えていない」(シャープの野村勝明副社長)といった声が聞かれ、業績には楽観的な見方も出ている。

 韓国では経済への打撃に対する懸念が強まっている一方、日本側の企業は影響の行方を注視している段階だ。

■「心配していない」「影響僅少」
 「(輸出管理が強化されても)代替のリソース(資源)はある。われわれのビジネスへの影響は軽微だ」

パナソニックの梅田博和常務執行役員は7月31日に東京都内で開いた会見でこう述べた。

 仮に日本からの輸出が滞ることで韓国メーカーが半導体などの電子部品を生産できなくなっても、他のメーカーから部品を調達すれば問題がないという考えだ。

 精密部品の村田製作所の竹村善人常務執行役員は「心配していない」とし、「対象品目に含まれたとしても許可があれば輸出はできる。一時的な影響は出るかもしれないが、大きな問題にはならないだろう」と話す。日立製作所も「直接的な影響は僅少」(西山光秋専務)とみている。

■軍事転用阻止
 韓国に対する輸出管理の厳格化について、日本企業は冷静に受け止めている。

 加工精度の高さから軍事転用の可能性が指摘されている日本製の工作機械。

 日本工作機械工業会の飯村幸生会長は「武器への転用は絶対に阻止しないといけない」とし、政府の方針や情報を早期に会員企業に伝えていく考えだ。

 工作機械各社の全体の売上高に占める韓国の割合は数%と低いため、直接的な影響は限定的との見方が一般的だ。

 韓国がホワイト国から除外されると、自動車の部品などに使われる炭素繊維の輸出手続きも厳格化される見通しで、三菱ケミカルホールディングスは「粛々とそれに従ってやっていく」(伊達英文執行役常務)方針という。

■不買運動拡大、レクサスの受注にも
 日本企業で警戒感があるのは、サプライチェーンよりも、日韓対立の長期化に伴う韓国内での日本製品の不買運動の広がりだ。

 「トヨタ車のレクサスの販売代理店で、7月からの受注に影響が出ており、行方を注視している」。豊田通商の富永浩史取締役は7月31日の決算発表の記者会見でこう述べたように、日本車の販売に響く可能性はある。

 飲料大手、アサヒグループホールディングス(HD)は1日決算会見で、「一部の小売店で販売を控える動きがあるのは承知している」(勝木敦志CFO)と不買運動の影響を認め、「動向を見守っているところだ」と述べた。
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NHK世論調査 内閣支持49% 不支持31%
 NHKの世論調査によりますと、安倍内閣を「支持する」と答えた人は、3週間前の調査より4ポイント上がって49%だったのに対し、「支持しない」と答えた人は2ポイント下がって31%でした。

 NHKは今月2日から3日間、全国の18歳以上の男女を対象にコンピューターで無作為に発生させた固定電話と携帯電話の番号に電話をかける「RDD」という方法で世論調査を行いました。

 調査の対象となったのは2254人で、54%にあたる1214人から回答を得ました。

 それによりますと、

▽安倍内閣を「支持する」と答えた人は、参議院選挙直前に行った3週間前の調査より4ポイント上がって49%だったのに対し、

▽「支持しない」と答えた人は2ポイント下がって31%でした。

 支持する理由では、

▽「他の内閣より良さそうだから」が47%、

▽「実行力があるから」が20%などとなりました。

 逆に支持しない理由では、

▽「人柄が信頼できないから」が35%、

▽「政策に期待が持てないから」が31%などとなっています。

 安倍政権が今後最も力を入れて取り組むべきだと思うことを6つの選択肢をあげて聞いたところ

▽「社会保障」が26%で最も多く、

次いで
▽「外交 安全保障」と「景気対策」が18%、

▽「財政再建」が12%、

▽「格差の是正」が9%、

▽「憲法改正」が7%でした。

 先月行われた参議院選挙の結果に満足しているか聞いたところ、

▽「大いに満足している」が4%、

▽「ある程度満足している」が43%、

▽「あまり満足していない」が31%、

▽「まったく満足していない」が14%でした。

 国会で憲法改正に向けた議論を進める必要があると思うか尋ねたところ、

▽「進める必要がある」が34%、

▽「進める必要はない」が24%、

▽「どちらともいえない」が34%でした。

 政府は、韓国を輸出管理を簡略化する優遇措置の対象国から除外する決定をしました。

 この決定について、

▽「支持する」が55%、

▽「支持しない」が8%、

▽「どちらともいえない」が27%でした。

 アメリカは、中東のホルムズ海峡の安全を確保するため結成を検討している有志連合に日本を含む同盟国などに参加を呼びかけています。

 自衛隊を有志連合に派遣することについて

▽「賛成」が22%、

▽「反対」が32%、

▽「どちらともいえない」が37%でした。

 各党の支持率は、

▽「自民党」が36.1%、

▽「立憲民主党」が7.2%、

▽「国民民主党」が1.5%、

▽「公明党」が4.0%、

▽「日本維新の会」が3.8%、

▽「共産党」が3.0%、

▽「社民党」が0.8%

▽「れいわ新選組」が1.2%、

▽「NHKから国民を守る党」が0.2%、

▽「特に支持している政党はない」が34.8%でした。
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